7, 二度目の山登り

 シローは今にも倒れそうなほど疲労していた。一方のクマダは、まるで平坦な街道を歩いているかのように歩を進めている。
 シローたちは今、険しい山道を進んでいた。日は強く照り付け、体力を奪っていく。頭上に広がる青空が恨めしい。そもそも、今のシローの背中には大きなリュックサックが二人分も乗っかっていた。

「きゅ……休憩……」

「なんだ、もうばてたのか。情けないやつ」

 無神経な罵りに腹立たしさを覚えるが、反論する気になれない。今のシローにはプライドよりも休憩が必要だった。

 開拓というのは、人の手の入っていない、道なき道を進んでいくことなのだ。シローは改めてこの地の開拓者に感心した。とは言っても、現在同行している熊帽子の男へは感心よりも憎しみの方が断然強かったが。そもそも、自分がこんなに疲労している原因の3割はこいつのせいだ。
 シローは木陰に座り込み、ボトルに入った水をぐびぐびと飲んでいく。クマダがその横に腰かける。なんで、わざわざ隣に座るんだよ、とシローは目線だけをクマダに向け睨みつけた。

「まだ、道のりは長そうだぞ」

 クマダがそう声をかけてきたときには、ボトルの水はすっかり空になっていた。シローは同時に、やってしまったと感じた。喉が渇いていた。無我夢中だった。しかし、それは何の免罪符にもならない。予備の水はもう無いのだ。この先、長くけわしい道のりを水なしで進むというのは、凡庸な体力のシローには無謀な行為だ。
 クマダは、そんなシローの顔を見てため息をついた。

「仕方ない」

 クマダはそういって、立ち上がる。クマダの小さなふたつ耳がピコピコと動いた。何か聞こえるのだろうかと、シローも小さな音を聞き逃さない様に耳に神経を集中させる。
 音がした。流れる水の音だ。
 シローがそれに気づいたころには、クマダは音のなる方向へと足早に進んでいた。シローも慌てて、それを追いかける。もちろん、リュックサックをふたりぶん背負って。

 そこには川がながれていた。クマダは一足先に到着しており、流れる川の水を眺めている。
 シローは、リュックサックを放り出し再び水が飲める喜びを胸に川の水をすくい、飲む。冷たく透き通った水は体の隅々まで染みわたっていった。登山の疲れがすべて癒されるようだ。
 ふと、気づけばクマダが顔をこちらに向けている。なんだか、『こいつは馬鹿か』とか、『残念なやつだ』とか、嘲笑と呆れが顔に書いてある気がする。

「……な、なんだよ、お前は飲まないのかよ?」

 クマダもシローより体力があるとはいえ、人間である以上水は必要だ。しかし、クマダは川の水には一切手を付けていなかった。シローはそんなクマダを横目にボトルに水を満たそうと、リュックサックを開ける。

「お前はもっと勉強した方が良い」

 クマダはそう言った。馬鹿にされている。こいつがこんな態度を取るのは今に始まったことではないから、舌打ちをして無視した。今は、ボトルに水を汲むほうが大事だ。

 数時間後、シローは腹痛と下痢に倒れることになる。

「見知らぬ土地で生水を飲む馬鹿はお前くらいだよ。転送カードの使用準備が整うまでそこでうずくまっていろ」

 クマダが、煮沸済みの水を飲みながら、近くの宿まで帰還するための転送カードをカバンから取り出した。
シローは、そんな罵りを受けながら、目を白黒させ言われた通りに無言で地面にうずくまっていた。

8, 浮遊城と雨

「わああ……」

 洞窟から外へ出たクマダは、感嘆の吐息を吐き出してばかりいた。軽い足取りで、草地を歩いていく。
 目の前には、広い広い青空が広がっている。

「浮遊城、な。なるほど、名前通り浮いてるのかってくらいバカ高いな」

 後ろを歩くシローはしきりに足元を気にしながらそう言った。足元には背の低い雑草が生えるばかりの何の変哲もない地面なのだが、シローが気にしているのはこの地面の所在だ。

「ていうか、まさかマジで浮いてんじゃねーだろーな。なんだか、足がムズムズしてきた……。地に足付いてない感じ……」

 シローが浮遊城と言ったその場所は、まるでおとぎ話に出てくる空飛ぶ大地のように青空と崖に囲まれていた。長い階段のような洞窟をひたすら登りたどり着いたその大地、見上げれば目に入るのは青空と大きな城。

「見ろ、シロー! 遠くにジャイアントマウンテンが見えるぞ!」

「言われなくても見えてるって」

 呆れ顔でそう言った。クマダは先程から、鼻息荒く周囲をそわそわと歩き回っている。そのまま足を踏み外して崖から落ちてしまうんじゃないかと、シローはまた別の意味でそわそわしていた。

「見ろ、このゴシック様式の大廊下! 素晴らしい職人が手掛けたに違いない!」

「は、ゴシップ?」

「お前の冗談はいつもつまらないな!」

 シローをなじるクマダの顔は笑顔だ。口は出しても相変わらず城と風景に心を奪われているらしい。
 ふたりは大きな渡り廊下を歩いていた。城の尖塔と尖塔をつないでいる。破棄された城ではあるが、その作りは強固なようで古い建物だろうに崩落するそぶりも見せず未だその形を保っていた。ふとシローが窓から下を覗き込むと、あまりの高さにしっぽが膨らんだ。

「あぁ、しかし懐かしいな。ボクの屋敷を思い出すよ。やはり大きな建物は落ち着くね」

 クマダが深呼吸をしながら言った。確かに、とシローは足を竦ませながら思う。クマダの屋敷もこのくらい大きな建物だった。クマダに買われた当時は、大きく迷路のように入り組む屋敷内でよく迷子になっていたのを思い出す。

「お前の屋敷よりよっぽど親切な作りだけどな」

「それはお前が屋敷の構造も覚えられないアホなだけだ」

 クマダがぴしゃりと言い放つ。

「いやいや……」

 お前の性格が反映されたようなひねくれた屋敷だった、と言おうとして飲み込んだ。階段を下っていけば一階に降りられるこの城のなんと素直なことか。

「何がいやいやだ。屋敷の地図だって渡したのに、お前なくしたじゃないか」

 それは……まぁクマダに叱られる事柄にしては珍しく耳が痛い。耳の奥に鈍い痛みが……。

「ううん? 本当になんだか痛む……」

「ふむ、……どうやら一雨来そうだな」

 気づけば、浮遊城を包んでいた青空は重い鈍色へと姿を変えていた。ゴロゴロと低い雷の音が響く。

「ま、ここは城の中だ。調査は問題なく続けられるだろう。行くぞ、シロー」

 クマダは重い曇り空も気にせず廊下を歩いていく。シローは痛む耳を抑えながら、クマダの後を追いかけた。

「いってぇ……なんなんだ」

 赤くおおきな絨毯の敷かれた大広間、その隅でシローは床に座り込んでいた。先程、空を覆った曇り空はまるで鉄砲玉を掃射したかのような激しい嵐を運んできていた。幸い城はクマダたちを雨風から守ってくれてはいたが、シローは短い片方の耳がジクジクと痛む不快感に苛まれていた。

「気圧の変化だろうよ。ここも山みたいなものだろうから、天候の変化も激しいみたいだ」

 クマダが、絨毯の上に立ちながら窓の外を見つめている。

「おい、そんなに痛むのか」

「うぅ……、いや、そのうち慣れるから……」

 シローが青い顔をしながら返事をする。そうか、とクマダが一言。

「別にひとりで調査に言っててもいいぞ。ここらにBUGはいないみたいだし……」

「完全にいないとは言い切れないだろう。別にいいさ。今日中に調査を終えなければいけないわけじゃないんだ」

 クマダの、少しアンニュイな横顔を見る。
 なんだ、いつもなら「そんな痛み我慢してボクに着いてこい!」なんて蹴りのひとつでも入れられそうなものなのに。思えば、クマダはこの星に来てから……、明確には以前ジャイアントマウンテンでBUGと戦ったあとから自分に対しての物腰が穏やかになっているように感じる。

「え、もしかして心配」

「なんてするわけないだろ、馬鹿者!」

 茶化してやろうと指を指した瞬間、クマダのナイフが頬をかすめて背後の壁に突き刺さる。あーあ、これは完全な勘違いだ。自分のしっぽをきゅっと体に巻き付けて縮こまる。

「働けない奴隷に無理をさせて潰すのは、良い主人とは呼べないからな。雨も止みそうにないし、今日はここで野宿するか」

 クマダが、簡易なテントを張るために懐からカードを取り出す。
 しっぽのすきまから覗き見たクマダの顔がいつもより赤い気がした。

(まさかね)

 クマダのような冷血漢が奴隷の心配なんてするもんか。耳が痛むから、こんなしょうもない勘違いをするのだ。
 シローはしばらくの間、カードを操り悠々と野宿の支度をすすめるクマダをしっぽの隙間から眺めていた。

9, 雨と城と大男

「あぁ、クソッ! シローのやつ!」

 クマダが悪態をつきながらナイフを投げる。そのナイフはBUGの額に突き刺さり、塵へと変えた。
 雨が降っていた。花畑の中、雨に打たれながら戦うクマダはぬかるみに足を取られまいと必死で体勢を立て直す。しかし、悪態の対象であるシローの姿は見当たらない。
 時刻はすでに夜を迎えていた。空は暗く、先駆者がカードを使用し設置したのであろう電灯だけが弱々しく周囲を照らしている。

「よし、残り一匹!」

 クマダが最後のBUGを仕留めるために振り返り、そして、ナイフを投げる手をピタリと止めてしまった。思わず、顔がひきつる。
 そこにいたBUGは、シローの姿をしていた。

 遡ること数刻前。
 シローがいなくなったことに気付いたのは、BUGを倒した後だった。
 ぜえぜえと肩で息をしながら辺りを見回すが、人の姿は見られない。天空城の広い廊下の中、大きなバッグだけが寂しく残されていた。
 まさか、またあの逃亡癖が発症してここぞとばかりに逃げ出したのか?

「ありえなくはないな」

 ナイフを懐にしまい大きなため息をついた。胸ポケットからハンカチを取り出し汗を拭う。休む暇もなく次はシロー探しを開始しなければならない。シローに持たせていたバッグはそのままに、万が一の帰還用カードだけを懐にしまうのを忘れずに。
 それからしばらく、クマダはひとり城内を探索していた。振り続ける雨音をBUGに、荘厳な城内を楽しみながら歩を進めた。しかし、明かりのない城内はどこも薄暗い。

「もっと天気の良い日に来れればよかったんだがな」

 幸い、探索中はBUGを見かけることはなかったがシローも同じとは限らない。さっさと見つけ出してやろうとは思っているが、しかしどこにもシローの姿は見当たらなかった。

「はぁ……」

 歩きまわっていれば、当然疲れが出てくる。先程まで戦闘に明け暮れていたことを思えばなおさらだ。渡り廊下の隅に座り込むと、クマダの腹が大きな音を立てて鳴った。

「そういえば、昼食を取っていなかったか」

 あれもこれもシローのせいだ。そう思いながら空腹に耐えるために丸くなる。冷たい風がクマダの頬をなでた。この星にも四季があるのだろう。そろそろ本格的に寒くなる時期だ。

「……」

 寒さも空腹も、金持ちのクマダには縁遠いものだった。

「ううん、今頃寂しくて縮こまっているんだろうよ。あの大間抜けめ!」

 そう言って、クマダはバッと立ち上がった。

「ボクはあの大間抜けと違って、腹が減っただの寒いだので立ち止まるほど腑抜けじゃないんでね!」

 シローへの文句をぶつくさ言いながら、再びシローを探すため城内を探索し始めた。

 そうして、時は戻り現在。

 城内を粗方探し尽くした時には、時刻はすでに夜を迎えていた。
 まさか外へ逃げ出したのかと城の外を探してみれば、いたのはシローではなくBUGの群れ。
 そして、目の前にはシローのBUG。

「うぐっ!?」

 次の瞬間、クマダは水たまりに倒れ込んでいた。BUGに思い切り蹴り飛ばされたのだ。そのBUGがシローを模したものだったのが不幸中の幸いか。

「ぺぺっ、まともな開拓者を模したBUGだったら死んでたな」

 泥だらけになりながらも、とっさに起き上がりBUGに向き合う。シローのBUGなど、他の開拓者のBUGに比べたら赤子も同然だ。しかし――

(一体なんだ、このやりづらさは)

 以前にシローのBUGと対峙した際は、何の躊躇いもなくその眉間にナイフを突き立てられたはずだ。自分の腕はあの時よりずっと上達しただろうに、その一歩が踏み出せない。じわりと嫌な汗が吹き出ては降り続ける雨に流されていく。

「クマダぁ!」

 シローのBUGが叫ぶと同時に、クマダを打ち倒そうと再び足を振り上げた。クマダはそれを避けようと後ろへ一歩下がり……

「うわっ!?」

 下がろうとして、ぬかるみに足を取られ尻もちをついてしまった。シローのBUGからの一撃が避けられないと判断し、とっさに目を瞑る。

「うひゃあっ」

 しかし、倒れてきたのはシローのBUGの体だった。シローに押し倒されるような形だが、当のBUGは気絶している。

「大丈夫か?」

 声のする方へ顔を向ける。そこには大柄で体中に古傷がある、色黒の大男が立っていた。

「か、開拓者か。助かったよ……」

 男がBUGの後頭部に一撃を加えたらしい。BUGは次第にホロホロと体を崩し、すぐに塵となり消えてしまった。

「お前も開拓者かい? いくら開拓のためとはいえ、こんな夜更けに子供がひとりでこんな場所にいたら危ないぜ」

 男はクマダを立ち上がらせると、持っていた手ぬぐいで泥まみれのクマダの顔を拭った。

「むぐぐ、ボクは大人だよ。ボクはクマダ。あなたは?」

「こんなちっちゃい大人がいるもんか。俺はアブラ。あーあ、坊っちゃん、お洋服が泥まみれだ」

 坊っちゃんとは、これまた随分無礼な物言いの開拓者だ。クマダは喉まで出かかった文句を飲み込んだ。

「とりあえず城に入ろう。こんなところにいたら風邪を引いちまう」

 アブラに腕を引っ張られ、クマダは慌てて声をかけた。

「ま、待ってくれ! ボクは人を探しているんだ。そうだ、白くて大きなしっぽの男を見なかったか? 片耳がみじかくて……」

 アブラは顎に手を当ててうーんと唸っている。シローを見かけたかどうか、思い返してくれているのだろう。しかし、その足は止まることなく歩き続けており、クマダはその丸太のような太い腕に引っ張られになす術なく歩かされてしまう。

「俺は見てないなぁ。なんだ、坊っちゃんの召使いか?」

「む……、まぁそんなところだ。ボクはそいつを探さなきゃならなくて……」

「駄目だ」

 アブラはクマダに振り返り、きっぱりと言い放った。

「こんな雨降りBUGまみれのなか、人探しなんて自殺行為だ。特にお前みたいな子供をひとり行かせるわけにはいかんのでね」

「で、でも、シローはボクより弱い! 早く見つけてやらなきゃ、今頃BUGに囲まれて瀕死になってるかもしれないんだ」

「うーん、坊っちゃんより弱いとなるとそりゃ心配だなぁ。そうだ、俺もいっしょに探してやるよ」

「それは助かる!」

 クマダはパッと顔を明るくしてアブラを見上げた。

「おう、どうせ近くの宿には戻れないしな」

 アブラが言った。宿に戻れない、とはどういうことだ?

「ちょっと長くいただけなのに、追い出されちゃってさぁ」

「長く?」

「ううん、確か一週間くらいか? ケチだよなぁ。俺様、開拓者様だぜ? いいじゃんね、ちょっとくらい金が無くても泊まらしてくれりゃーさぁ」

 明るくなったクマダの顔が一気に曇る。どうやらこの開拓者、ずいぶんと豪快というか、怠惰な性格のようだ。

(不安材料が増えたな……)

 クマダの耳がぺたんとたれているのは、雨に打たれているという理由だけではない。クマダはアブラに腕を引かれながら、もはや引きずられるように城の中へと入っていった。