カード。
今、クマダが手にしているそのタロットを模したカードは、ただのカードではない。この星特有の、自然に反した力が収められた不思議なカードだ。それは武器に炎を宿らせることが可能であり、体を治癒することが可能であり、何もない場所に一瞬にして建物を建てることが可能な、夢のような代物であった。
「すべてを一枚でこなせるわけじゃないが」
厳密には、一枚のカードで一つの魔法の履行が可能という代物である。宿屋を建てるには宿屋のカードが必要であるし、ワープを利用したければ転送カード、回復魔法が使いたければ対応したカードを使用する必要がある。
「でも、うん、すごいじゃないか! まるでおとぎ話に出てくる魔法のようだ!」
クマダはカードを持ってルンルンとその場でスキップした。こんな夢のような代物がこの世にあるだなんて! 聞いた話によれば、クマダが乗ってきた宇宙船もこのカードの力によるものらしい。
今、クマダは美食愛好会本部にいた。欧米風の建物の中、広々とした中庭にはきれいに手入れされた植物たちがそよ風に揺れている。クマダには見慣れぬ青空がまぶしい。
「クマダさん、いかがでしょう。渡したカードは問題なく使用できましたか?」
美食愛好会のスタッフが言った。先日、BUGから助けてくれたスタッフである。彼もまた、開拓協力に応じた開拓者たちにこの星の様々なことを教えてくれるスタッフたちのひとりだ。
「うん、ばっちりだ! いやはや、年甲斐もなくはしゃいでしまったね。ふふ、お見苦しいところを見せて申し訳ない」
「年……」
子供のような容姿を持つクマダを見て、スタッフは困惑しながらも咳払いをした。
「ともかく、それはこの星を開拓していく上で重要な力です。それでは、最後に」
スタッフが自身の持つカードを投げる。それは床に落ち、ぐにゃりと形を歪ませたかと思うと、またたく間に人形のような姿に形を変えた。
「これは簡単な魔術学科による召喚です。簡単に言えば練習用エネミーですね。クマダさんは斬術学科の方ですから、そちらの方がきちんと扱えているか簡単にテストさせていただきます。目標はあの練習用エネミーを戦闘不能にすること!」
――学科。この開拓地における技能・知識の区分のことだ。魔術学科は名の通り魔術に関する区分であり、斬術学科は剣戟を振るう技能である。その他にも、料理学科や護衛学科、果てには冥術学科などの聞いたことないのようなものまで様々だ。これも、この美食愛好会が様々な地から開拓者たちを集めているためである。開拓者たちの中にはドラゴン、ゾンビ、旅人などおとぎ話に出てくるような存在が多くいた。
「本当におとぎ話の世界に入り込んだみたいだ」
「クマダさんも、私から見たらだいぶおとぎ話的な存在に見えますよ」
そう言ってスタッフが笑った。スタッフには獣耳も獣の尾もついていない。クマダの目にはそれがとても奇妙に映るのだが、現在この地では獣耳がついている存在のほうが少ないようだ。
「ほら、クマダさん。頑張って!」
スタッフに応援され、クマダは改めて練習用エネミーへと向き合った。クマダの手には、ピカピカのナイフが握られている。カードの力により強化され、今は見た目以上の威力を備えていた。クマダが斬術学科を履修したのはこれが理由だ。クマダにとって、ナイフを扱うことは自分の腕を扱うのと同じくらい容易い。
――ストンッ。
風を切る音が聞こえ、直後に小気味良い音が響いた。練習用エネミーの眉間に、ナイフが突き刺さっている。練習用エネミーはしばらく動きを止めた後、形を崩し再びカードの形へと戻っていった。
「食事にばかり使っていたが、戦いにも使えるものなんだな」
落ちたナイフを拾い上げ、誇らしげに言った。
このクマダという男、貴族であるために自らが戦いを行うことは今までなかったが何分要領は良い。戦闘にナイフとフォークを用いるというスタイルも、この地へやってきてからほんの数日でBUGと戦えるくらいには習得してしまった。
「ま、これくらいできないと開拓なんて参加させてもらえないだろうからね。こんな良いリゾート地へやってきたんだ。それなら徹底的に遊ばせてもらおうじゃないか」
「おお、さすがですクマダさん!」
スタッフがパチパチと拍手を送る。
もちろん、他の開拓者と比べてクマダが優れているわけではない。開拓者の中には生まれてから戦いを生業としてきた猛者たちがたくさんいる。今、こうしてクマダを褒めているスタッフにしても、本気で戦えばクマダよりも強いのだろう。
「これなら、BUGにだって遅れを取ることはありませんよ! あ、でも気をつけてくださいね。調子に乗って深追いすると負けちゃいますから」
「わ、わかっているよ」
この星では、クマダは単なるいち開拓者に過ぎない。貴族として畏怖を込められたコミュニケーションばかり交わしてきたクマダにとって、このフランクさは未だ慣れない。
(小説に出てくる傲慢な貴族の気持ちがわかるような気がしてくるぞ……)
「それでは、クマダさん」
スタッフが踵を返し、歩きだす。
「早速クマダさんが赴く新天地を決めましょう。協会では、開拓者がどこへ向かうかをダイスで決めるんですよ。偏りをなくすためなんですって。面白いですよね~」
「ふーん?」
ケタケタ笑うスタッフを追いかけながら、クマダはその奇妙な仕組みに首をかしげた。しかしまぁ、あのシロー――クマダの奴隷も未だどこへ行ったのかわからずじまいだ。
「まぁ、運を天にまかせるのも一興か」
「こんな未開拓の星です。我々は開拓者の運も信じているのですよ。我々自身の采配よりもね」
それは、おもしろい考えかもしれないな。スタッフの様子を見るに、それは真意のだろう。
今までは屋敷の主人として敬意をはらわれる身であったが、こうやって自身の様々な能力を忌憚なく評価されるのも案外悪くない。
スタッフの後ろを歩きながら、クマダは得意げにふふんと笑った。
奴隷が高級料理店で食事をするなんて馬鹿げている。
シローの目の前の大きなダイニングテーブルには、染みひとつない真っ白なテーブルクロスが敷かれている。その上には、鉄板に乗ったハンバーグが出来たてだと主張するかのように音をたて香ばしいかおりを放っている。他にもサラダやライスやスープなどが、天井に吊るされたランプの灯りを反射しキラキラと輝いていた。ここは高級料理店、自分が利用することなど一生無いと思っていた類いの店だ。周りの客も糊の効いた服を身にまとい、談笑してはいるもののその会話すら気品を感じさせている。
その場で、シローは明らかに場違いだった。ボロボロのトレンチコートを身にまとい、大きなしっぽを天井へ向かってまっすぐに硬直させている。落ち着きなく、垂れた獣耳を意味も無く触り辺りを見渡す。その様子はシローがこのような場に慣れていないという事を全身で主張していた。
しばらく、辺りを見回していると正面から声が飛んでくる。
「出された料理はさっさと食え。ボクに恥をかかせるな」
テーブルを隔てて対座している男が言った。クマダだ。その人物は、室内だというのに可愛らしい熊の頭部を模った帽子を被っており、スーツを着ているがその見た目は十歳前後の子供というシローとはまた違った目立ち方をしていた。しかし、シローはクマダが自分よりも十は年上のれっきとした大人であることを知っている。クマダは、ハンバーグをナイフで綺麗に切り分け口へ運ぶ。食べる時の音は一切しなかった。
それを見て、慌てて料理を口に運ぼうとする。しかし、慣れない食事に戸惑っているせいだろうか。フォークを取ろうと伸ばした腕でコップを倒す。驚き、次にフォークも落とす。慌てて拾おうと身を屈めれば、ベルトがテーブルクロスの裾に引っかかり料理がすべてひっくり返る。気づいた時にはもう遅い。テーブルクロスと共に引っ張られた料理は、シローの頭めがけて盛大に降り注いできた。もちろん、出来たてあつあつのハンバーグも。
「お前を連れて食事をしようとしたボクがバカだったよ」
やけどの痛みと共に、クマダの言葉がまた痛く突き刺さる。料理を盛大にひっくり返した後、クマダはハンバーグを頭に乗せ床にのたうち回るシローを横目に淡々と会計を済ませ足早にその場を後にしていた。
クマダたちは今、大きな川に沿って進んだ先にある休憩所に居た。穏やかな川のまわりには木々が生い茂り、川のせせらぎと葉の揺れる音だけが耳に届く。涼しげな澄んだ空気と草の青臭い香りが鼻孔を通った。普段から人が来ないのだろう、古ぼけた木製の長椅子には土埃がかぶっている。シローは気にせず座っているが、クマダは服を汚すのが嫌なのか立ったままだ。
「やっと捕まえたと思ったけど、相変わらず成長しないやつだ。食った栄養は全部その下品なしっぽに行っているのか?少しは脳にも分けてやったらどうなんだ」
クマダはシローのしっぽを睨みつけ、そしてそのまま視線を目にあわせた。シローはばつが悪そうに目を逸らす。せっかく奴隷生活とおさらばできると思ったらこれだ。クマダはまるでレーダーか何かみたいに、的確にシローの場所を探り当ててしまった。不気味に思っていると、お前はわかりやすいんだ、と心を読まれたかのような言葉をかけられ背筋に悪寒が走る。
「人前でそんな大きなしっぽをゆらゆら揺らせる時点で、お前の頭に期待するのもバカらしいか」
クマダは言った。クマダの言う通り、シローのしっぽは持主よりも大きい。
獣の耳としっぽ。それらはクマダたちが生まれた時から兼ね備えた器官であり、同時に恥ずべき獣の証でもあった。彼らにとって、獣は食われる側の生き物なのだ。奴隷階級であるシローは普段気にかける事はなかったが、クマダからしてみれば反吐が出るほど卑しいものだった。
クマダは先ほどからずっと小言を言い続けている。チクチクとつつく様な皮肉と罵りの数々に、とうとうシローの堪忍袋の緒が切れた。
「うるせえな! ちょっと飯がダメになったくらいでガタガタ抜かすんじゃねえよ。背も小さけりゃ器も小さいのかてめぇは!」
シローが言う。ここにはシローとクマダしかいない。その事がシローの気を大きくさせたのだろう。見た目だけで言えば、大人と子供だ。
「いいか。俺は絶対お前の奴隷なんかに戻らないぞ。この悪食野郎」
シローはクマダに詰め寄る。クマダはそれを黙って、しかし怯む事は無くただ冷静にシローを見つめていた。
それを見たシローはさも気に食わないといった風に舌打ちをし、踵を返し歩き出す。
「ここにきて、俺は自由になれたんだ。邪魔すんじゃねえ」
シローは歩みながら背後のクマダの方へ振り向き言った。……様子がおかしい。
クマダは笑っていた。人を馬鹿にするときの顔だった。だが、追ってくるわけではない。強がりか?あの野郎、俺に手出しできないからせめて顔だけでもってことか。ご苦労なこった。
「自由? ふふふ、自由ね。お前がそれでいいなら、ボクは構わないけどね」
負け犬の遠吠えだ。そう思い、歩みを進めようと足を踏み出した。そして、気づく。
目の前に、俺がいる。
「いいよ。生きる自由もあれば死ぬ自由もあるんだ。ボクはお前の主張を是認するよ」
くくく、とクマダが笑うのと同時にもうひとりのシローがシローめがけてとびかかる。シローはそれを退けようと、怒鳴るために口を開く。
「なんなんだ。俺の邪魔をするんじゃねえ!」
面食らった。一字一句、同じ言葉を言われてしまった。声質すら一緒だ。一瞬、自分が声を発したのかと勘違いしてしまうほど同じだった。
クマダが笑いながら言う。
「BUGだよ。知らなかったのか? ここではボクらの姿を真似た虫が跋扈しているんだ。それを除いて開拓を進めるのが、今のボクの仕事さ」
シローは自分とうり二つのBUGに押し倒され、首を絞められかけている。必死に抵抗するが、地面を背にした体勢のせいか上手く力が入らない。クマダを睨みつける。
「なんだ、その目は。もう奴隷じゃないんだろう?なら、お前を助ける義理はボクにはないよね」
シローの首が絞められていく。酸素を取り込めず、せき込むがそれも上手くいかない。朦朧とする意識の中、ぼやけた視界でもクマダがあくどい笑みを浮かべているのはわかった。
三日月のような笑みを湛える口元が、言葉を紡ぎ出す。
「お前の一生をボクに捧げるなら、その命助けてやる」
夢中だった。おそらく、頷いたのだろう。
次の瞬間には、喉元を締める圧迫感は消え去っていた。慌てて身を起こすと、視界には眉間にナイフが刺さり倒れたBUGが一匹。
少しでも空気を取り込もうと深呼吸をしながら、それを見つめていると背後から声がした。
「よろしくね。奴隷くん」
悪魔が言った。
「あの虫どもはどんな味がするんだろうな」
クマダは言った。シローの、クマダを見つめる目が大きく見開いた。そして、次第に細く睨みつけるような目つきに戻っていく。舌打ち。
クマダ達は、大きな聖堂に付属している公園にいた。整備された石畳の道に中心地に設置された噴水、それを取り巻く花壇は白い花を鈴なりに咲かせており、清潔な印象を来訪者にもたらしている。しかし同時に、白く輝く曇り空は肌寒さを感じさせ開拓途上の土地故の人気のなさはひどい侘しさを感じさせた。見上げるほどに大きい聖堂は、曇り空を背景に白いシルエットを浮かび上がらせている。
「人に化ける生き物見てそんなこと言えるとか、頭いかれてんのか」
クマダが言った虫とは、この地に巣食うBUGと呼ばれる生き物を指している。作物を荒らし土地の開拓を阻んでくる開拓者たちの天敵だ。そして、BUGの何よりの特徴は開拓者の姿を真似ることにある。シローはつい先日、BUGに襲われるまでこのことを知らず危険な目にあっていた。そのことをクマダにバカにされた後日、怒りにまかせて無我夢中で開拓者用の資料を読み漁った。悪い目つきがさらに悪くなりそうなほどに細かな文字を読み続け、短期間で頭に詰め込んだため一通りの知識は持っていた。元より、調べ物は得意なのである。
クマダは噴水の縁に腰かけ、落ち着いた口調で話し始める。
「知らないことがあれば、知りたいと思うのが人間の人間たるところだろう」
へへぇ、そーですか。
「人の姿してるから、人の味がするんじゃないかって舌なめずりしてんだろ? この悪食野郎」
言ってやった。クマダが不機嫌そうにシローを睨む。
「憶測でものを言うな。ボクは程度の低い言いがかりを好む人間じゃないんだ」
そう言うと、表情を普段の気だるげなものに戻し話を続ける。シローをからかっているわけではないのだろう。真剣な顔をしていた。
「あの虫どもはどこにでもいる。今でこそ邪魔な存在でしかないけれど、それが食材の宝庫となる可能性だってゼロじゃない。何事も利用できるなら利用した方が良いだろう?ただ、やはり手間がかかるかな。今のままでは、利益よりも損害の方が多いのだろうね」
「悪趣味の極みだ。てめぇは食えりゃなんでもいいわけだな。そんなんじゃ、地獄に落ちるぞ……ってもう手遅れか」
地獄、という言葉を聞いてクマダの丸い耳がピクリと反応する。
「地獄? 誰が僕を裁くっていうんだ」
クマダが聞いた。シローは想定外の反応が返ってきたことに驚き、言葉に詰まる。
「神か? 神とはなんだ。お前、信仰する宗教は」
シローは口ごもる。生まれてこの方、シローは無宗教だった。以前、住んでいた場所にも宗教は存在したが自らすすんで信仰することはなかった。貧困に喘いでいた時代、教会におこぼれを貰いに行った際に手を合わせた程度だろうか。
「ボクが当ててやろう」
クマダは立ち上がりそのまま歩み、シローの前に立った。
「お前の神はボクだよ」
当然のようにクマダはそう言った。シローはその言葉が無性に腹立たしく、ひと蹴り入れてやろうと足をクマダへ振り下ろす。しかし、その足がクマダの体へ届くことはない。一瞬宙を舞ったシローの体は、次の瞬間には顔面から地面に打ち付けられていた。石畳の地面は冷たく硬い。ビリビリと響く様な痛みにシローは打ち震えていた。
クマダがシローを見下ろしている。クマダの背後に、厳かで大きな寺院が見えた。
「奴隷の神は、主人だろう。何も間違ったことは言ってない」
そう言うと、クマダは踵を返し寺院へ向かい歩き始める。シローの頬に雨粒が落ちた。気付けば、雲は一段と分厚くなっていた。これから、一雨くるのだろう。
「いつか、開拓者たちがBUGの神になるんだろうね。その暁には、是非ともあの肉を食ってやろう。ふふ、楽しみだ」
その言葉を聞きながら、シローは眉間にしわを寄せたままクマダを追いかけるために立ち上がった。