プロローグ, 事実は小説より奇なり

「地獄を見せてやる」

と、男が言った。
 その男は茶色のスーツに赤の蝶ネクタイ、そして熊の耳がついた帽子をかぶっている。背丈は低く、齢二桁も行かないかわいらしい男の子に見えた。しかし、その口調や態度かられっきとした成人男性だと感じられる。

「この僕、クマダが直々にね」

 クマダと名乗ったその男は眉間にシワを寄せながら、フォークを振り下ろす。それがパンケーキに突き刺さり、持ち上げられクマダの口へと入っていった。帽子の耳がピクピクと揺れる。どうやら、本物の獣耳が中にあるらしい。
 クマダは、美食協会本部にあるレストランにいた。ベージュを基調とした目に優しいヨーロピアンな内装、テーブルクロスまでもシワ無くきれいに整えられている。窓の外には、カラッとした青空が広がっていた。しかし、少し遠くに目をやれば人の手の入っていない壮大な風景が延々と広がっている。
 しかし、クマダはそんな景色に目もくれずムカムカと腹を立てている。

「虫けらどもめ」

 クマダが怒っている理由は2つあった。ひとつめは、BUGと呼ばれる、クマダがこの辺境の星と呼ばれる大地に足を運ぶはめになった元凶に対して。
ふたつめは……。

「シロー。あいつめ、見つけたらギタギタに引き裂いてステーキにしてやる」

 

「クマダ様、お手紙です」

 ドアをノックし、書斎に入ってきたメイドが言った。

「手紙? 誰だ、あのアングラ辺境伯か?」

 身の丈に合わない大きな安楽椅子に腰掛けていたクマダは、手紙を受け取りながら眉間にシワを寄せた。クマダ本人が直々に手紙を受け取って喜ばしい出来事が記載されているとこなど、この世にないと言っても過言ではない。

 窓の外は、どんよりとした分厚い雲が空を覆っている。そのため、クマダのいる書斎は薄暗い。空が暗いのは今に限った話ではなかった。この地に太陽の光が直に降り注いだことなど、クマダが生まれてきてから一度も無い。大きな机に置いてあるテーブルランプが、クマダの顔を怪しく照らしている。
 クマダは大富豪の資産家だ。目に見える退廃の大地、その地平線の彼方まですべてクマダの所有地であったし、生まれてこのかた金に不自由しない生活を送ってきた。簡単に言えば、ボンボンの貴族である。
 唯一の不自由といえば、クマダが美食家であったことだ。大富豪であるにもかかわらず料理評論家として働く彼が住むこの大地は、どこもやせ衰えているか汚染されているかだ。もはや、この星のどこを探しても健康な土は無いだろう。クマダがいくら大きな屋敷の主人であってもとびきりの美食にありつけるということは稀だった。

「美食愛好会からじゃないか。以前、部下を送ったはずだ。まさか、もう開拓が済んだとも思えないが」

 そのため、クマダは美食を求め美食愛好会と名乗る奇妙な協会の支援要請に応じて、愛好会が言う肥沃な大地を開拓するために何名かの部下を愛好会のもとへ送り出していた。
 美食愛好会。その正体はつかめず、開拓するという大地も「辺境の惑星」だという。惑星だ。あの、空に浮かんでいる塵のような光の一粒。

「はぁ、少しは面白そうだと思ったのだが、結局は詐欺か」

 この地にそんなSF小説めいた話があるわけがない。クマダはこの退廃の地に生まれてからというもの、他の星へ出向いたことどころか、絵以外の宇宙船を目にしたことも、宇宙人と出会ったこともない。すべてはフィクション小説の中の夢物語だった。
 しかし、この退廃に少しの楽しさをもたらしてくれるんじゃないかと、クマダは協力要請の不審な手紙を破り捨てず、それに応じたのだ。そもそも、クマダにとって人手など掃いて捨てるほど足りていた。部下に奴隷、召使いには事欠かない。

「送った奴らが死んでも構わないが、持たせた装備品はもったいなかったな」

 そう言って、手紙をレターオープナーで開封した。手紙を読みすすめるクマダの眉間に、次第に皺が寄っていく。

 ――ご協力の為クマダ様の元からおいでくださった方々が行方不明になってしまわれました。備品の方も無くなっており、また申し訳ないのですが再度宇宙船を手配いたしますので何卒ご検討の方を――

 さて、この話。脅迫か、はたまた誘拐か。
 ここまでボクをバカにするとはいい度胸だ、と頭に血を上らせ宇宙船を手配するという約束の場所に、クマダは直々にやってきた。コートを羽織はおり、手元には大きな大きなトランク。
 人気のない裏山の中、周囲の茂みには護衛の者たちを忍ばせていた。いざというときには、手元のトランクにもひとり忍ばせている。これで、現れた者たちが愚かな不届き者であった場合、その命や尊厳まで蹂躙じゅうりんしてやろうとクマダは心に決めていた。
 しかし、約束の時刻になると、クマダのいらだちはまるで幻だったとでも言うようにスッと消えてしまった。

「これは驚いた……」

 そこへ現れたのは、本物の空飛ぶ宇宙船だった。本の挿絵でしかみたことのないような曲線フォルムの飛行物体が、ゆっくりとクマダの前へ降りてくる。クマダと護衛たちは、目を丸くし固唾かたずをのんでそれを見守るしかなかった。
 そこから誤解が解けるのは早かった。まず、送り出した部下たちはほとんど任務を放って逃げ出した可能性が高いこと、ふたつめは……。

「すごい、こんなにおいしいパンケーキは生まれてはじめてだ!」

 上質の砂糖と小麦粉が使われているパンケーキを振る舞われたことだった。この星の美食をほとんど食べ尽くしたクマダがそう思うのだから、このフィクションのような話は本物なのだと。実際、この不毛の地では上質な小麦粉を作るなど不可能に等しい。それこそ、宇宙船と同じくらいのフィクション性を持っていた。それをこうも当然のように成すのだから、辺境の惑星での開拓話も嘘ではないかもしれない。
 そうして、クマダはそのまま意気揚々と宇宙船に乗り込み辺境の惑星へと飛び立ったのである。

「少し長い休暇と思えば良いのさ」

 宇宙船の座席シートの上で、クマダはパンケーキを食べながらニコニコとそう言った。
 クマダの隣に置かれたトランクが時折ゴソゴソと揺れ動くのを、宇宙船に乗っている間クマダは一切気にしなかった。

 広い青空。白い雲。雄大な大自然が広がる辺境の惑星、その草原にて走る影が2つ。

「な、な、な、な、なッ!?」

 クマダは必死で走り、逃げていた。追いかけてくるのは……

「ははっ」

 あろうことか、美食愛好会のスタッフである。何事だろうか。この星を訪れて初めて対面したときは、まともな人間に見えたのだが。

「やっぱり詐欺か!? 誘拐か!? シローはどこに行った!? おい、シロー!!」

 シローと叫ぶが、もちろん返事はない。
 シローとは、クマダの奴隷のひとりである。クマダが大きなトランクに詰めていたひとりの男、それがシローであった。護衛として連れてきた奴隷であったが、さていざ目的地へ到着しホテルへのチェックインを済ませたところで気づけばトランクの中は誰もいない。
 逃げるにしても、この周囲は開拓されたばかりの小さな集落である。美食愛好会本部以外にはちらほらと宿屋や店が並ぶ程度であった。その外側は、未だ手つかずの美しい大自然。そんななか、無一文のシローを見つけるのは大した苦労ではないだろうと思っていただのが……。

「まさか集落の外に出たのかと思って探しに来てやったのに! クソッ、やっぱり奴隷のひとりくらい放っておけばよかった!」

 本来のクマダにとって、奴隷ひとりの命などなんでもない。しかし、ここはクマダの住む退廃の国とは違う。美しい地では有るが、見知らぬ土地でひとりぼっちという不安をじわりと感じていたクマダは、その無自覚な寂しさをどうにか埋めようとシローを探し回っていたのだった。
 そんな矢先、集落から少し外れた穏やかそうな草原を歩いていたときに、この事態に陥ったのである。

「たたた、助けろッ。だれかー!」

 生まれついての貴族であるクマダに戦う能力など無い。よもや魔術を使い自分を追いつめてくる相手に抗う術は持っていなかった。ふわふわのパンケーキに釣られた己が憎らしい。
 ヒュバッ。
 音を立てて、炎の弾がクマダの頬を掠った。しかし熱さよりも、緊張と冷や汗による悪寒おかんのほうが強く感じられる。

「ま、ま、ま……」

 自分を追いかけてくるスタッフが放ってきたのである。魔法という以外に言葉が見当たらない。
 空を飛ぶ宇宙船、頬が落ちるほどおいしいパンケーキ、そして炎の弾を放つ魔法……。
 ゴっ。クマダが大きく転んだ。草原に隠れた泥に足を取られたようだ。

(本当に、おとぎ話の中じゃないか!)

 スーツを泥で汚しながら、慌てて上半身を起こす。振り返ると、スタッフが自分に炎の弾を打ち込もうと手のひらをこちらへ向けていた。
 ギュッと目をつむる。
 ボボッ。
 炎の弾ける音。焦げる匂い。しかし、熱さは感じなかった。

「大丈夫ですか?」

 目を開けると、そこにはスタッフがいた。……正確に言うと、いま炎で焼かれている気の狂ったスタッフと瓜二うりふたつの、別のスタッフだ。
 同じ人間がふたりいる。
 またもや奇妙な出来事に頭が追いつかなくなり、クマダはその場で気を失ってしまった。

「気分はどうですか? お茶でも淹れましょうか」

「あぁ、すまないね……」

 クマダは、美食愛好会本部の保健室へと運ばれていた。患者用ベッドの上、ころんだ際頭にできたこぶを氷嚢ひょうのうで冷やしながら、先程襲われそして助けてもらったスタッフに礼を言う。しかし、クマダがスタッフを見る瞳には、不信感がありありと表れていた。

「……もしかして、開拓者さん。もしかして、BUGのことをご存知ない?」

 コンロでお湯を沸かしながら、スタッフが聞いた。

「バグ?」

 虫、のことだろうか。虫が一体なんだというのか。

「あぁ、すみません。本部側の説明不足です。BUGというのはですね……」

 それから、スタッフはまたもや奇妙なことを話してくれた。

 ――BUG。それは作物を食い荒らす”虫”の総称であり、これを退治し排除していくことがこの開拓における最重要事項であること。そして何よりやっかいなのは、BUGは開拓者たちの姿・行動を模倣し襲いかかってくる存在だということ。

 なるほど、それであの場所にはこのスタッフがふたりもいたのか。

「本当、気が滅入りますよ。BUGというのは美食の大本おおもとである作物を食い荒らすのはもちろんですがね、一番厄介なのはその模倣です。これに心を折られてしまう開拓者も多くいるんです」

「確かに、見知った顔で襲いかかられたらたまったものじゃないな。こちらの攻撃の手を鈍らせる策か」

「BUGたちに作戦を練る頭があるかはわかりませんがね。ともかく、ひと目見ただけでは本物の開拓者かBUGか見分けがつかない場合がほとんどですし、それを判断しようとする一瞬の隙に奴らは襲いかかってくるんです。まったく、忌々いまいましいやつらですよ」

 そのとおりだ。見知った顔でなくとも、自分と同じような種の存在が襲いかかってくればどんな気持ちになるか、クマダは先程嫌というほど思い知らされた。

「で」

 スタッフが、クマダに向き直った。

「開拓者さんは、あの草原で一体なにをしていたのですか」

「それは、ど……つ、付添人?とはぐれてね」

 奴隷、と言いかけて止めた。初めて知ったときクマダは少し驚いたのだが、この地で”奴隷”というものはどうも良い言葉ではないらしい。

(郷に入れば……とも言うしね)

「それは心配ですね。集落の外に出てBUGに襲われたら大変だ。良いでしょう。私も捜索に協力しますよ。なに、この周辺くらいなら人探しも簡単ですよ」

「それは助かる」

 そう言うと、クマダはベッドから降り、履いたスリッパをペチペチ言わせながらスタッフへ顔を向けた。

「BUGどもに抗うすべを身に着けなければね。ボクになにかできることはあるのかな?」

 スタッフは、クマダの言葉にニコリと笑顔で返した。
 ――ぐぅ~
 静かな保健室に、クマダの腹の音が響いた。クマダはぐっと口をへの字に曲げる。

「その前にまず」

 こほん、と咳払いひとつ。

「服屋とレストランはどこかな。あぁ、腹が減るとイライラしてくるよ。まったく……」

「その怒り、BUGに向けてくださいね。もともと、BUGのせいなんですから」

「……もちろん、怒りを向ける方向を間違えたりはしないさ。この怒りは……」

 窓の外に目をやった。遠くには、大きな山々が連なっている。

「BUGと、シローにでも向けることにするよ。あぁ、自己紹介がまだだったね」

 クマダは、スタッフへ向き直る。

「ボクはクマダ。貴族であり、料理評論家であり、この星の開拓者の一人だ」

 胸をはり、名乗った。

「色々とトラブルはあったが、ボク自身が協力すると言ってここに来たんだ。ボクは言ったことは守る男なのさ」

 ふふん、と鼻を鳴らして笑った。スタッフが微笑んでいる。
 保健室のカーテンをそよ風が揺らしている。窓の外に広がる光景に、クマダは密かに心を踊らせていた。

 ……その後、本部の玄関先にて盛大に転び、腹を立てながらパンケーキを食らうはめになるのだが。

「くしゅんっ」

 集落の外れにある丘、その木の上に腰掛ける一人の男がいた。羽織はおっているコート、その後ろから伸びる大きな白いしっぽがよく目立つ。

「誰か、噂でもしてんのか? ……どうせ、クマダのやつだろうけど」

 鼻をこすりながら、木になっているリンゴをもぎ取った。眼下にある集落を眺めながらリンゴをしゃぐしゃぐとかじっている。

「へへ、しかし良いところだなここは。外は明るいし、空気も清らかだ。無理やりトランクに押し込められたときはどうなるかと思ったけど、こりゃ怪我の功名こうみょうってやつだな!」

 リンゴを食べ終えると、軽い身のこなしで木から飛び降り器用に着地した。

「これで奴隷生活ともおさらばだ! さーて、どこへ行こうかな。おいしい果物がたんまりなっているところがいいなぁ」

 ニコニコと上機嫌な男は、大きなしっぽをゆらしながらスキップでその場を後にした。