「ここには何度来ても飽きないね。この空の広さ、この立派な城、何よりこの、浮遊する土地!」
小型の飛行船から降り、浮遊する地面に足を着けたクマダは大きく深呼吸をした。爽やかな草木の香りが鼻孔をくすぐる。クマダは目を閉じ、笑顔でそれを楽しんでいた。
次の瞬間、ゲホゲホとむせ返っていた。口を押え、涙目で背後にいる人物を睨む。
「いやぁ、こういうところで吸うたばこは格別だなぁ」
シローがへらへらと笑いながら大量の煙草を吸い、もわもわと煙を吐き出していた。それが、風に乗ってクマダの元へ流れている。クマダは風上へ移動しながら、シローを連れてきたことを後悔する。いや、どちらにせよ連れてこなければいけなかった。
先週のことだ。開拓へ出かけて帰ってきてみれば、部屋がたばこの煙で満たされていた。それを元の状態に戻すまで、嗅覚や味覚が命の料理評論家クマダにとってはまさに悪夢だった。以前のように逃げられても困るので、外へ追い出すこともできない。
口元にハンカチを当てたクマダが、恐ろしく冷たい瞳でシローを見つめた。
「連れて帰った暁には、食肉工場にでも売り払ってやろうか……」
その言葉を聞いて、シローのへらへら笑いが消える。クマダなら、やりかねないと感じたのだろう。クマダが身分の低い相手に対して容赦ないことを、シローは身をもって知っていた。
「……冗談の通じない奴だな」
「ボクは品の無い冗談は嫌いだ」
クマダは、瞳の冷たさを保ったままそう言った。
「はいはい……」
シローは、吸っていた煙草を地面に落し踏んで火を消す。そうしていると、クマダがシローの未開封のたばこを浮遊城の外、はるか下の地面に向かって放り投げてしまう。
「あぁっ、もったいない!」
「こんなもの、料理をおいしく食べるのには邪魔でしかない。全く、美食家の多いこの星でどこからこんなものを手に入れてくるんだか……」
クマダは、呆れながら城へ向かい歩いていく。シローは、もう見えなくなったたばこを名残惜しそうに振り返りながら、クマダの後をついていく。
浮遊城の中、古びていながらも荘厳さを保っている城内に、風を切る音が響く。
「本当、BUGはどこにでも湧くんだな。本来の姿には、羽根でも付いているのか?」
クマダはそう言って、BUGに戦闘用フォークを投げつける。それはBUGの眼に刺さり、姿勢を崩させた。クマダはすかさず、懐から戦闘用ナイフを取り出しBUGとの距離を縮めていく。
「うわっ!」
BUGが驚嘆の声を上げた。その声を聞き、クマダの駆ける足が鈍る。その隙に、BUGは態勢を整え再びクマダとの間合いを取った。クマダは、眉間に皺をよせBUGを睨む。
クマダが対峙しているのは、つい先日知り合った開拓者の姿を真似たBUGだ。
その開拓者は戦闘は得意ではないが、美食家で礼儀正しい好青年だった。クマダは、若くして見知らぬ土地で美食を求め働くその青年に対し、好感を持っていた。それ故に、今目の前にいるBUGが憎い。
「人を侮辱するのも大概にしろ。虫けらめ」
そう言って、持っていたナイフを投げる。ナイフはダーツの様にBUGへ向かって飛んでいき、BUGの眉間に突き刺さった。
「わわっ!」
同じ様な声を上げる。開拓者の青年と同じ声だ。それを聞いたクマダは、口元を苦々しく歪ませる。これだから、BUGは嫌いなんだ。
急所を刺されても依然倒れぬ不気味さと、好青年の健全さのミスマッチが、クマダの不快感を加速させていく。BUGがナイフを持ち、クマダに向かい駆けだした。クマダはそれに応戦するために、懐から戦闘用のナイフをすばやく取り出す。
シローは、遠巻きにクマダの戦闘を眺めていた。きっと、今のクマダにはシローのことを考える余裕など無いだろう。ぼんやりした眼差しを向けられても、一目返す事すらしない。
シローにとってクマダが死のうが関係なかった。むしろ、死んでくれた方が自由の身に慣れる分良いのかもしれない。
ここは浮遊城。ひび割れた床のはるか下には、青々とした緑が広がっていた。同時に、冷たい風が吹きこんでくる。シローは寒さを防ぐために、自身のもふもふとした大きな尻尾を体に巻き付けた。再び、視線をクマダに戻す。
どうやら、クマダが押し負けている様だ。あのBUGは、以前クマダがやたらと褒めていた青年に似ている。大抵、褒めたあとに「それに比べて、お前は」と文句が続くので、シローにとってはいい思い出のある人物ではなかったが。
恐らく、あの青年の姿に対して攻撃することに躊躇いがあるのだろう。クマダは、敬意を持つ相手に対してはとても紳士的だった。例え、それが姿を真似ただけのBUGだとわかっていても、そういった癖を消しきることができないのだ。
甘い甘い。俺なら、どんな敵が相手でも躊躇いなく戦えるね。勝てるかどうかは、抜きにして。
あくびをしながら、そう考えていると、肩を叩かれた。きっと、飛行船の運転手だろう。浮遊城に来てから、もう半日が経過していた。
「あぁ、待って。あの悪食野郎が倒されるとこ、目に焼き付けておかなくちゃな」
意地悪な笑いを浮かべながら、振り返った。
クマダの集中を途切れさせたのは、城内に響き渡る叫び声だった。
思わず、視線を声のする方へ向けると、そこにはシローの姿。剣を持った女騎士の姿を真似たBUGに追いかけられていた。
クマダは、その叫び声よりもまだ残っていたBUGの存在の方が不愉快だった。無限に湧いてくる虫なんて、不快以外の何物でもない。
「わわっ、こんなところにBUGがいるなんて!」
そう言って、BUGがクマダに向かってナイフを突き立てようと振りかぶった。 次の瞬間、BUGの手からナイフが落ちる。
「うるさい奴はふたりもいらない」
BUGのナイフがクマダに届くより早く、クマダはBUGの喉ぼとけにナイフを突き立てていた。神経が断ち切られたのか、BUGはそのまま崩れるように倒れた。
「あああっ、おい悪食、……クマダサン! 助けて、ゴシュジンサマー!」
度々、振り下ろされる刃を避けながら全力疾走しているシローは必死にクマダに助けを求める。
青年の姿をしたBUGを倒したクマダは、息を整えながらシローを見やった。
「発音が不快だ」
「あぁっ、言わなきゃよかったこのクソ野郎!……ひっ!?や、やっぱ助けて!」
振り下ろされた刃が、シローの耳を掠めた。白い毛が数本断ち切られる。
「わぁー!?」
シローの叫び声とバタバタとした足音、それにまざって僅かにクマダの息切れが城内に響いていた。
豪華絢爛な装飾の施された壁にもたれ掛かり、深呼吸をする。そして、BUGから逃げ回るシローを見ながら、助けたあとどういびってやろうかと考えていた。
空に太陽は無い。荒野のずっと向こう側、地平線の下に長いこと佇んでいる。
クマダたちは、未開の領域と呼ばれる場所を進んでいた。砂埃を防ぐためにマントを羽織り、頭をすっぽりとフードで覆っている。荷物を背負った馬を引きながら、荒野を歩く。
「俺たちはどこまで行きゃいいんだよ。なぁ、悪食さんよぉ」
シローが愚痴をこぼす。不満、というよりも弱音に近かった。その証拠に彼の大きく白いしっぽも、今では砂にまみれ薄汚れている。
「黙って歩け。あぁクソ、こんなところ歩かされるなんて、ボクだって聞いてなかったぞ。帰ったら、たっぷり文句言ってやる」
クマダの眉間には皺が寄っている。食いしばった歯の間から、思いつく限りの嫌味が呪詛の様に漏れ出していた。
荒野はいつまでも続いている。太陽が暗い空を地平線の下から照らす様子は、傍から見れば厳かな風景にも見えたが、今のふたりにそれを知る余裕はなかった。
荒野に一軒の宿屋を見つけたのは、それから数時間経ってのことだった。
クマダは今、宿屋のロビーでひとり酒を煽っている。安く、薄く、まずいワインだったが、下戸であるクマダを酔わせるのには十分な量だった。
「なんでボクがこんなこと……、クソ、クソっ……」
顔を真っ赤にし、テーブルに上半身を伏せうなだれている。はじめは、美食家が集まり良質な料理の為に星を開拓していると聞いて、観光気分で訪れた。BUGと戦うというのも、美食に情熱を傾けるクマダにとって難しくはないことだった。それに、行く先は落ち着いた小川や荘厳な遺跡、果ては浮遊する城など。BUGがいることを除けば、この星は確かに観光するにはもってこいの名所の宝庫だった。度々、目にした雄大な風景に、いったい何度感動したことだろう。
「まさか、果てがこんなザマになってるとは、思わなかったよ」
未開の領域。どこまでも続く荒野。見通しの悪い、暗い土地。暗くかすんだ地平線。これでは、作物も満足に育たないだろう。
クマダは、空になったグラスに再びワインを注ごうとして、瓶の中が空だという事に気が付いた。
「ひっく、あぁ、そこの……げふっ……フロントスタッフ。ワイン、もう一本たのむよ」
フロントにいる、背の高い痩せぎすの男に声をかけた。スタッフ、といってもこの宿屋に従業員は片手で数えるほどしかいない。先を行く開拓者がこれから来る者のために建てたものだからだろう。
「お客さん、荒れてますね。顔真っ赤じゃないですか。やめたほうがいいですよ。明日も開拓にでかけるんでしょう?」
スタッフが心配そうに答えた。フロントの椅子に座りながら、夕刊を手にしている。と、いうことは、今はきっと夜なのだろう。長いこと空が暗いので、時間の感覚がすっかり狂っている。
「開拓?」
クマダは、机に上半身を伏せたまま視線だけをスタッフに送り、言った。
「もう、果ては見えたようなものじゃないか。この荒れた地を進んだところで、希望のある未来があるとボクには到底思えないけどね」
「ありゃ、お客さん開拓者でしょう?なら、開拓のためにこんな土地を進んでるんじゃないんですか?」
スタッフの言葉に、クマダはクククとのどを鳴らすように笑った。
「あのね、ボクはこう見えても料理評論家をしているんだ。生業は資本家だけどね。だから、どんなものにどんな価値があるのか、判断する能力は持っているんだよ」
真っ赤な顔を上げ、今度は椅子の背にもたれ掛かる。スタッフが心配して、グラスに注がれた水を持ってきた。悪いね、と少しばかりの感謝を口にし、一気に水を飲みほした後、再び話をはじめる。
「この星に価値は無い」
むっ、とスタッフの眉間に少しの皺が寄るのが見えた。この星の住民なのだろう。クマダは、冷たい水のおかげか、すぐに口を滑らせたことに気付き少しばかり慌てた。
「あぁ、いやいや、失敬。この星が悪い土地というわけではないんだよ。ただ、商業的な価値は低いということさ。だって、世界中から能う限りの開拓者を集めて未だBUGは殲滅できず、挙句の果てにはこの荒野。作物が育つと言っても、今のままじゃ使える土地があまりに少なすぎる。……といっても、これはボクから見たこの星の評論さ。美食愛好会……。あぁ、ボクら開拓者を集めた組織のことだけどね。あそこは、観光や事業などどうでもよくて、飽くまで美食を極められればそれでいいという考えなのかもしれない。ふふ、そういうこだわった考え、ボクは好きだけれどね。まぁ、そろそろ美食愛好会と付き合うのも終わりかな。ボクはボクで評論家としての仕事もやらなきゃいけないし」
スタッフが、二杯目の水を持ってきた。グラスを受け取り、今度はちびりちびりと舐めるように飲んでいく。
「はぁ、そういう考えなら、なんでこんなところにいるんです? 正直な疑問なんですけどね。だって、この先を開拓して得るものがあるんですか。私だって、この先に何かあるとは思えないのに」
「あるよ。ひとつだけ」
クマダが言った。その目はスタッフではなく、暗い窓の外に注がれていた。地平線の向こうを、じっと見つめている。
「聞いた話、ボクの姿を真似た虫けらがいるんだと」
「そりゃ、BUGはどんな姿でも真似ますからね。だから面倒なんですけど……。一匹くらい、あなたの真似をするBUGがいたっておかしくありませんよ」
スタッフが呆れながら言った。BUGにはほとほと迷惑している、といった様子だった。
「ボクは、料理評論家なんだ。だから、どんなものでも臆せず食すのがポリシーでね。未知の食材となれば、食してみなければ気が済まない」
クマダは言った。
「その忌々しいBUGの頭をかち割って、小さい脳みそでもパンに塗って食ったらきっと面白いだろうと思ったんだ」
スタッフの顔に嫌悪の表情が浮かぶ。クマダは、水を飲みほしグラスをスタッフへ渡す。
「随分な趣味をお持ちで……。うえ、私だったら自分のBUGなんて対峙するのも嫌ですけどね」
スタッフは気持ち悪そうにうえっと舌を出しながら、グラスを片付けにフロントの向こうへ戻っていった。
「何にでも興味を示すのが、料理評論家というものだよ」
そう言って、クマダは席を立ちおぼつかない足取りで部屋に戻っていった。