13, クマダの悪趣味を思い出す新年の話

 なんで未だに、俺はこいつと一緒に開拓をしているのだろうか。
 宿での仕事が未だに終わらないクマダを見つめながら、シローは考えていた。外は相変わらず雪が降っている。この時期は冬休みと称して休みを取る開拓者も多いという。それにあやかったわけではないのだが、クマダはドクターストップが解けないこともあり未だに宿で養生を続けていた。しかし、こんなに机に向かっていても養生になるのだろうか?

(てか、ソファくらい座らせてくれたっていいじゃんか)

 部屋のソファに座るとクマダが怒るので、シローはしぶしぶ床で丸くなっていた。器用にしっぽで体を巻いて猫のようにくるりと収まっている。クマダ曰く、ソファに座ると毛が付くから駄目だとか。

(違うね。俺への嫌がらせだ)

 心のなかで文句を垂れる。正直なところ、シローはとても暇だった。決して小さくはないが宿は宿。売店と温泉があるくらいで、泊まった最初こそは楽しんでいたが一週間もすれば見るものもなくなってしまった。他の開拓者には、本でも読んではどうかと勧められることもあったが。

(俺、文字読めないし)

 開拓者は皆教養があるのだなと感心しながら、その勧めを聞いていたものだ。もしくは、独学で学ぶ力があったか。しかし、それくらいできないとこんな未知の大地を開拓し続けるのは難しいのかもしれない。

(あのアブラも本を読めるのかな)

 世界には様々な言語があると、クマダは言う。この星ではそこまで言葉に不自由はしていないので、シローはその話は嘘なんだろうと思っていた。それとも、似たような言語の開拓者を集めているとか?

「お前もこの仕事を手伝ってくれればいいのにな」

 カリカリと音を鳴らしてペンを走らせていたクマダが、ふとこちらを見て言った。自分がぼんやりとクマダを見つめて続けていたことに気が付いた。

「うるせーな、減らず口言う前にさっさと書け」

 べぇと舌を出してやる。クマダの眉間にシワが寄った。クマダはため息をつき、再び机に視線を戻す。
 知っていながら、あんな憎まれ口を叩くのだ。本当に、なんであの時アブラについていかなかったんだろうとこの一週間で何度も思い返した。
 ピタリ、とペンの走る音が消えた。

「なぁ、気分転換しようじゃないか。執筆だけをひたすらに続けるのも体に悪い。おいシロー、おしるこを買ってこい」

 ポイと小銭を投げてよこした。しぶしぶ体に巻いていたしっぽを解いて小銭を拾う。どこからかどこからか入ってくるひんやりとした風がシローをぶるりと震わせた。

「は~、さみ~」

「お前も体を動かさないと脳までたるむぞ」

「なるわけねーだろ」

 小銭を懐に入れて、ふとシローはクマダに訪ねた。

「なぁ、おしるこって……なんだ?」

 

「なにも知らないんだな。お前は」

「うるせ~」

 結局、売店までいっしょにおしるこを買いに行く羽目になった。故郷では甘味なんてキャンディやガムくらいしか知らなかったほどだ。すべてはこの主人であるクマダの采配なのだが。

「帰ったら、今度から配給におしるこってのを加えて」

「バカ、あずきなんて高価な豆を奴隷に配れるほど、ボクらの星は豊かじゃない。まさにこの星の恩恵だね」

「へ~、おしるこって豆の菓子なんだ」

 クマダの説明を聞いて、次第に興味が湧いてきた。自分たちの星じゃ味わえないほど高価な食べ物! 一体、どんな菓子なのだろうか……。

 

「え~……」

 手元にあるお椀に入った泥水のような物体は、シローの想像するものとは程遠かった。中に入っている白いものはなんだろう。

「泥水マシュマロ」

「次にそれを言ったらその口縫い合わせてやるからな」

 クマダに怒られてしまった。しかし、その見た目に反した甘い香りは食欲をそそる。
 売店では、新年のお祝いとして開拓者におしるこが配られていた。この和風――というらしい、この風貌の建物は――に合わせたおめでたい料理なんだそうだ。

「おっと、まだ口をつけるなよ。これは”気分転換”に必要なんだからな」

 クマダが言った。これを食べることが気分転換なんじゃないのか。また、なにか良からぬことを考えているのだろうか。クマダの考えていることは相変わらずよくわからない。まぁ、こんなおめでたい時期にこんな宿でクマダが奇行に走ることもないだろう。クマダは体裁を気にする男だ。
 しかしそう考えても、ニヤリと笑うクマダに嫌な予感を拭いきれないまま、シローはクマダのあとをついていった。

 

 なんで、俺は机に座らせられているのだろうか。ろくに持ったこともないペンを握りながら机に視線を落としている。視線の先にはみみずの這ったような文字とも呼べぬ何かが書かれた紙。

「きちんと文章を書き写すんだぞ。バカなお前のたるんだ脳みそを鍛え直してやろうとしているんだ。感謝してもらってもいいんだけどね」

 クマダはこの状況がよほど楽しいのか、ニコニコとしながらソファでくつろぎおしるこをすすっている。久しぶりにクマダの悪趣味が露見した。先日の戦いで弱ったクマダを見て油断していた。

(こいつはこういうやつだよな……)

「バカ、ペンの握り方から違う。やりなおし。ふふふ」

 こうやって他人をいびって楽しんでいるのだ。これが、きっとクマダにとって心地いい気分転換なのだろう。

「よくできたら、お前におしるこを分けてやろう。お前はろくに戦えもしないんだ。この星の開拓者たちと共に歩むなら、せめてこれくらいはできるようにならないとね」

 ふはは、とまた笑った。にたりとした目つきが嫌らしい。

「どうだ、一行目は”report”だ。書いてみろ。ふふふ、意味はわかるか? ふふっ」

 こんなに楽しげなクマダは久しぶりに見た。いや、厳密にはこんなに悪趣味を全開で楽しんでいるクマダ、か。

(せっかく甘いものが食えると思ったのに……)

 憎らしく、クマダを睨む。そして再び机に置かれた真っ白な紙も。

(これが終わる頃にはまっしろな雪景色まで嫌いになってそうだな)

 眉間にシワを寄せながら、クマダの悪趣味が過ぎ去るまでシローは机に向かい紙に視線を落とし続けていた。

14

「プリンが食べたくなってきたな…」

「俺クリームのったやつな」

「なんでお前の分まで買ってやらなきゃいけないんだ」

「金持ちのくせにケチなやつ!」

ラット戦。S-Lv12 【グレートプレーンズ(第二層)】

15, クマダ、温泉に入る

クマダたちがいる丘の上からは、壮大な景色が見渡せる。空はどこまでも大きく、大地は鮮やかな緑で覆われていた。

「くっさ」

シローが言った。

「……」

 クマダは返事をしない。
 シローが放った言葉は罵倒ではなく、ごく客観的な意見だろうと思ったからだ。
 クマダは、先ほどまで大きなねずみと戦っていた。BUG以外にも珍妙な生物もこの星にはいるのだなと、戦いながら考えていたのを覚えている。
 ねずみ退治は、開拓中に出会った青年から成り行きで受けた頼まれごとだった。研究所から脱走したねずみを始末してほしい、と。しかし、クマダが星の開拓を手伝う目的は、この地が農作に適した地であるからだ。ならば、作物を食い荒らす生物はBUGであれ、それ以外であれ駆除しなければいけない。
 しかし、問題のねずみたちは背丈は人間のそれと同じほど大きく、野生に帰りかけていたのだろう。

「どぶの匂いがする」

 シローは鼻をつまみ、遠巻きにクマダを見ている。顔には嫌悪の表情が浮かんでいる。

「……この丘、温泉が建つには最高のロケーションだとは思わないか」

 しかし、もちろん丘にはそんなものはない。クマダはため息をひとつして、シローの方へ振り返った。

「ないものねだりをしてもしょうがない。この辺りの調査もおわった。戻るぞシロー。ボクの身を綺麗にするのが、今の最優先事項だ」

 カポーン。

 ししおどしの軽快な音が辺りに響いた。周囲には、湯気がもうもうと立ち込めている。

「旅館に温泉があってよかった」

 クマダは、足早に旅館に戻り体を綺麗にすべく温泉へと駆けこんでいた。まだ昼過ぎのため温泉は貸し切り状態なのが、汚れたクマダにとっては幸いだった。裸のクマダは喜びと共に温泉を見渡した。

「俺も温泉に入りてーんだけど……」

「なんでボクが奴隷と一緒に湯船につからなきゃいけないんだ。ほら、早速体を洗ってくれ」

 クマダが蛇口の前の椅子に腰かけ、シローを呼ぶ。シローはしぶしぶそれについて行く。

「ていうか、自分で体くらい洗えよ。俺も温泉入れると思ってついてきたのによ」

 持っていたスポンジをにぎりしめる。シローは温泉だというのに服を着たままだ。開拓から帰還した直後だというのもあって、シローは疲れていた。目の前には、上等な温泉。しかし、クマダのせいで温泉に入れない。疲れ、温泉の湿度の高さ、汗の不快感が合わさって、このときのシローは普段よりも苛ついていた。

「ボクは貴族だぞ。わざわざ、そんなことをする道理はないね」

 そんな中に、この言葉である。スポンジを持って服を着たまま温泉にいるのが、なんだかとても馬鹿らしく思えた。

 すぽーんっ。

 クマダの顔面に、スポンジが勢いよく投げつけられる。

「貴族アピールは鏡にでも向かってやってろ」

 シローは怒って脱衣所に戻っていった。こんな辺境の地に来てまでクマダの奴隷として振る舞う気は毛頭ないシローにとって、クマダのこんな命令はただの耳障りな戯言だ。
 温泉にひとり残されたクマダは、スポンジを握ったまま戻っていくシローを見ていた。

 シローは温泉の休憩室でくつろいでいた。たばこを我慢し缶コーヒーを片手に椅子に腰掛けている。クマダはともかく、開拓者には美食家が多い。シローなりの配慮だ。喫煙者の肩身は狭いなぁ、とシローはぼやく。

「あいつがひとりで体を洗うなんて、想像できないけどな」

 あれから一時間ほど経ったが、未だにクマダは温泉から出てこない。

「……まさか、のぼせてぶっ倒れてるんじゃないだろうな」

 それでは、旅館に迷惑がかかる。缶コーヒーを一気に飲み干し、シローはクマダの様子を見るために腰を上げた。

「……なにやってんだ」

 シローが呆れる。
 クマダは、未だに自らの体を洗うことに奮闘していた。

「いまさら何をしにきたんだ。シロー、お前はあとでおしおきだ。しっぽに鞭打ち100回だぞ」

 クマダは、十分に泡立ったスポンジを片手にどうにか背中を洗おうともがいているようだった。
 あぁ、クマダの腕の短さじゃ背中に手がとどかないんだな。シローは、悪戦苦闘するクマダを見て思う。
 ちらと脱衣所にある時計を見た。時刻は午後4時前。そろそろ、客も戻ってくるころだろう。
 はぁ、とシローの口からため息が漏れた。

「仕方ねぇな。洗ってやるよ」

 シローが、クマダの手からスポンジを奪い取りその背中を洗い出す。

「いつまでも蛇口の前を占拠されてちゃ迷惑だからな」

「ふん、最初からそうすればいいんだ」

「……そうだ、ちょっと待ってろ」

 シローは脱衣所に戻り、再びクマダの元に――正確にはクマダの隣の椅子に戻ってきた。服を脱ぎ完全に温泉に入るスタイルだ。

「他の開拓者たちが戻ってくる前に、俺も風呂でさっぱりさせてもらうぜ。ほら、背中流すからむこう向け」

 クマダが、嫌な顔をするがしぶしぶ背中を向ける。

「しっぽがちっちゃいな」

「うるさい」

 普段は燕尾服に隠れているクマダのしっぽが、苛立たし気に揺れている。背中を洗うついでに、しっぽもスポンジでこすってやるとクマダが「うぅ」と悩まし気につぶやいた。

「耳としっぽは専用のせっけんとスポンジで洗うものなのに……」

「髪の毛用のシャンプーが用意されているだけでもありがたいと思えよ。リンスまであるんだぜ。十分十分」

 体を一通り洗った後、頭髪用シャンプーで髪の毛を洗う。クマダの体はすっかり泡で包まれている。

「へぇ。お前、耳も黒いんだな。いつも茶色の帽子かぶってるから茶色だと思ってた。そういや、前に流行ってたな。耳しっぽを髪色と別の色に染めんの」

「低俗な流行だ。そんなところ見せびらかすなんて、恥ずかしいと思わないのか」

「へぇへぇ、セレブは意識が古臭くて嫌だね」

「古いも新しいもあるか、単に下品なだけ……、うわっ」

「ついでに顔も洗っとくか。その難しそうな顔もマシになるかもな」

「うぇ、口にせっけんが……。ぺっぺっ」

 クマダを泡おばけにした後、頭から湯をかける。耳に湯が入る! と、怒るクマダを見て、シローはニシシと笑っていた。

「はー、いい湯だな。ここも、開拓が終わったら観光客向けの温泉になるのかな」

「だろうね。……シロー、ちゃんと体を洗っただろうな? お前のしっぽはおおきいからな。毛が浮いて湯を汚すなんてことがあったら、主人であるボクの責任になってしまう」

「ちゃんと洗ったわ! お前じゃあるまいし!」

「……ふん、ボクは自分で体を洗うような身分の人間じゃないからね。……にしても、うぅん、さすがに今度からは自分で洗えるような道具を持っておくか。垢擦りタオルとか、棒付きスポンジとか」

 クマダは、先ほどの失態を情けなく思っているらしい。口元まで湯につかり、耳をぺたんと寝かせている。

「そもそも、今までどうしてたんだよ。風呂にはいつも入ってたろ」

「……いっしょに入る他の開拓者に流してもらってた」

 未知の場所を開拓するという役割から、開拓者は身体や意志が強靭な者が多く集められている。そこから来る心の余裕からか、心優しい、親切な者も多く居た。こんな子供のような姿のクマダが困っていれば、大抵の開拓者は二つ返事で手助けをしてくれることだろう。見た目だけで言えば、ピコピコとした耳としっぽを持ち丸く赤い頬を持つ、可愛らしい少年に見えるかもしれない。同時に、「俺には憎たらしい顔にしかみえないけど」とシローは思う。

「ガキみたいな体躯でよかったな。もっとでかかったら、背中なんて流してもらえない……。いや、大きかったらそもそも流してもらう必要もないのか」

「お前はいつもいつも無駄口ばかりだ。こうしてボクといっしょの湯につかるのを許しているだけでも、温情な行為なんだぞ」

「チッ、うるせーな。温泉につかってるときまでやかましい奴め。……あー、そろそろ上がるか。開拓者たちが戻ってくると、ここも混むからな」

「……それもそうだな」

 一足先に、シローが温泉からあがる。
 ブルブルブルッ

「うわわっ!」

 シローが耳としっぽを振り回した。飛び散った水しぶきが、クマダにかかる。

「バカッ、公共の場で濡れた耳としっぽを振り回す奴があるか! 本当に、お前はマナーがなってないな!」

「いいじゃん、誰もいないんだし。これなら、早く乾くだろ。濡れた毛を乾かすのって時間かかって面倒なんだよ」

 まるで水にぬれた犬が体を振り回すがごとく、シローは耳と尻尾の水気を切っていく。

「大丈夫だって、ちゃんとドライヤーかけるから。このまま乾くまで放置してると、ごわごわになっちゃうからな~。お前もやれば?」

「ボクがそんな下品な真似すると思うか!? ……まったく、ほら」

 クマダが脱衣所を指さす。

「早くタオルを持ってこい。湯冷めするだろ、早く拭け!」

「こういうところはとことんまで自分でやらないな、お前は!」

 真っ裸のままクマダと言い争いをする気は無いシローは、さっさと折れて脱衣所にタオルを取りに行く。

「風呂上がりに牛乳飲ませたら、あの怒りんぼも少しはマシになっかね」

 脱衣所の扉を開けながら、シローはそう独り言ちた。