――現在地:I-Lv16 【渓谷・奥】
――現在地:I-Lv16 【渓谷・奥】
クマダ「最近、暑かったり寒かったりめちゃくちゃじゃないか…。」
シロー
「そういう季節なんだろ。我慢しろ。」
クマダ
「うぅ、こんなんじゃ体調を崩してしまう…。BUGと戦う前に倒れるなんてみっともない自体は避けたいな…
寒い。酷く体が凍えて嫌だ。こんなにも寒いのに、冷や汗が止まらない。気持ち悪い。
クマダは、小さい体を震わせながら、薄暗い道を歩いていた。
「おい、クマダ、諦めて俺のしっぽにくるまっとけよ。お前、ほんとに倒れちまうぞ」
背後で、シローが言った。
胎動冷却、と呼ばれる場所がある。そこは、真っ暗ではないもののとても薄暗く、不安になるような寒さを纏っていた。おそらく、洞窟の中なのだろう。ここでは明かりが遠くまで届かず、カンテラを天井へ掲げてもそこには暗闇が広がっているために、明確に言い切ることはできないが。
「こんな状態でBUGにあたっちまったら、お前は戦えないし、そんなら俺も危ないし、良いことないって。戦いに備えて体力を温存しておけよ」
クマダは、ふらふらとおぼつかない足取りで先頭をあるいている。いつ暗闇からBUGが飛び出してきてもいいように、寒さに凍えながら戦闘用ナイフを構えてピリピリと気を張っていた。
「お前の言うハレンチってのが、全然わかんねーんだよ! 行儀は良くないかもしんないけど、俺の暮らしてた街では別に珍しくもなかったんだぞ」
「そういうことは、恋人同士や、でなければ親が幼子にやるようなことだ」
「俺んとこじゃ、そりゃ仲の良い奴ら同士でやることだけど、でも別に恋人とか親子しかやらねーってことはなかったけどな。いや、ともかく休もうぜ。お前これじゃ倒れちまうぞ。強情張ってる場合じゃねーだろ」
「うるさい……。ボクは……」
ガラリ、と物音がした。クマダは、とっさに音のした方向へ身を構える。
「……。いや、BUGじゃなさそうだ。多分、自然に岩が崩れただけだろ。はー、こんな場所も調査しないといけないとか、開拓者ってのは修行僧か何かかよ」
クマダは、じっと音のした方向を見つめ続けている。
「クマダ?」
シローが、クマダの頭を軽く叩く。
バタリと、クマダが倒れた。
「く、クマダーーッ!?」
シローが慌ててクマダを支える。シローの腕の中で、クマダはすでに意識を失っていた。
「お……?」
「あぁ、気づいたか」
視線の先では、シローが焚き火をしている。クマダが目を覚ますと、シローのしっぽに包まれていた。しかし、それを振り払うだけの体力がクマダには無かった。まだ、頭がボーッとする。
「寒くてぶっ倒れたと思ってたら、お前すごい汗じゃん。熱あるっぽいし、お前、風邪ひいてんじゃねーの」
クマダは、シローのしっぽに包まれていることに屈辱を覚えながらも、この洞窟でのことを思い出していく。頭がボーッとして、寒いのに冷や汗が止まらない。アレは、BUGに対して気を張っているためだと思っていが……。
「ボクは、体調管理すら自分で出来ないのか。情けない……」
「てかさ、別に体調崩してまで協会に手を貸す理由もないのに、よくやるよな」
「自分で言ったことだからな……」
クマダは未だに顔色が悪く、おとなしくシローのしっぽに包まっている。シローは、それを見て眉間にシワを寄せた。
「今日はもう帰るぞ。こんなんじゃ、探索どころじゃねぇよ。悔しいけど、俺じゃBUGには敵わないんだから」
「いや、ダメだ。もう決めたことだ。ここは調査していく」
「お前なぁ!」
クマダは、よろよろとシローのしっぽから抜け出そうとするが、シローはそれを許さない。
「いいかげんにしろよ。なんでそんなに頑固なんだ? 別に、ここで撤退したって誰もお前を責めたりしねぇよ」
「そうじゃない。ボクは、決めたことはやりとげなければいけないんだ。そうじゃないと、示しがつかない……」
「誰に?」
「……」
「他の開拓者共にナメられんのが嫌なのか? それとも、ガブルにバレて屋敷に情けない報告をされることか?」
「……ボクは、屋敷の主だ。父親だから……」
ほとんど、うわ言に近い。クマダは瞼の重さに耐えきれず、再び目を瞑り意識を落としていった。
クマダは、差別と退廃の星に住む貴族だった。退廃の国に住んでいたが、そこは退廃している故に他の国から狙われることもなく、ごく平穏に暮らしていた(ただ、それができていたのは飽くまで貴族だから、である)。
そんな場所でも、体裁というものは非常に重要だった。退廃しているが故に、停滞しているが故に、貧民と貴族を隔てる溝として、奴隷を従わせるものとして、他人に知らしめるものとして。価値を失った紙幣など目ではない。体裁は、貴族が貴族たる一つの要であった。
そして、それは屋敷内の奴隷たちにも、家族に対してすら働いていた。
「あなた」
「お父様」
妻と息子の声が聞こえる。ふたりの声を最後に聞いたのはいつだろう。屋敷にいるときですら、ほとんど言葉をかわしていない。
「お前たち」
言葉を交わさない者の気持ちは、どうしたってわからない。嫌われているんじゃないかと不安になる。ガブルはそんなことはないと言うが、あいつはわかっていないのだ。ボクは父親だ。
「……」
言葉が出てこない。父親として、屋敷の主として、適切な声掛けが出てこない。普通、夫婦とは、親子とはどういった会話をするんだろうか。
「別に恋人とか親子しかやらねーってことはなかったけどな」
ふと、シローの言葉を思い出す。ボクは、妻とも息子ともあんなことはしたことがない。ボクは、普通の家族関係を築けていなかっただろうか。
気分が暗くなってくる。こんなこと、今考えても仕方のないことなのに。
「――」
「――」
二人に責められる。なんて言っているのかわからないが、きっとそうなんだろう。
これは夢だろう。早く覚めたかった。誰か、ボクを起こしてくれないだろうか。
「ッ――」
誰かを呼ぼうと口を開くが、ボクの体裁が邪魔をして声が出ない。
「大丈夫ですか。旦那様」
ガブルの声がした。
目線の先には天井。自分が包まっているのは、シローのしっぽではなくベッドの掛け布団だ。
見渡せば、ここは先日泊まった宿屋の一室だ。横になっている自分の隣には、ガブルがパイプ椅子に腰掛けている。
「撤退したのか……」
「ああ、まだ寝ていてください! 旦那様、ひどい熱なんですから。全く、旦那様が倒れたっていうんで私、緊急で休暇もぎ取って飛んできたんですからね!」
重い体を無理やり動かし、布団から抜け出そうとする。すると、私が奥様に怒られるんですから、なんて言われながら、ガブルに抑え込まれて布団の中に戻されてしまった。
「報告書なら、私がシローから開拓先のこと聞いて代わりに書いておきますよ。代筆は協会との規約違反ではありませんからね」
「お前、文字なんて書けたのか」
「奥様に教わったのです」
ふふん、とガブルが得意げに胸を張った。
あいつめ、奴隷と貴族の適切な関係というのをわかっていないんじゃないか……? そんなことを思いながら、天井を見つめる。あの洞窟とは違い、外の日差しが明るい。
「BUGに遅れを取るわけではなく、風邪をひいての撤退か。情けない……」
「大丈夫ですよ。シロー曰く、あの洞窟はここからそう遠くないようです。次に探索へ行くときは、もっと簡単にたどり着けますよ。そうだ、りんご貰ってきたんです。食べますよね?」
ガブルが、果物ナイフを手に林檎の皮を向いていく。食べますよね、とは、ずいぶん断定してくるじゃないか。
「……うむ」
もちろん、食べるが。ベッドの上で休んでいたら少しは回復したようで、次第に食欲が湧いてきた。
「こんなこと奥様や坊っちゃんに知れたら、旦那様連れ戻されちゃいますよ」
「……ハッ、まさか」
「本当ですって。奥様からの手紙、いつも旦那様の心配ばかりですよ。読みます?」
クマダは、目を丸くしてガブルを見た。ガブルは当然というように、何事もなく皮を剥いたりんごを切り分けていく。
「……ボクが読んでもいいのか?」
「まぁ、私に宛てられた手紙ですけどね。私にね。でも、別に禁止されているわけじゃないからいいんじゃないですか?」
ガブルに宛てられた手紙、か。
「……いや、やっぱり、いい。ボクに宛てて来ないということは、やはりボクとは……」
「めんどっくさいなぁ」
いきなりの暴言。ガブルが、大きな口を開けてため息をついている。
「旦那様も、奥様も気負いすぎです。勝手に想像して、勝手に落ち込んでるんですよ。じゃ、聞きますけど、旦那さまが奥様と坊っちゃんに手紙を出さないのは、嫌いだからですか?」
「そ、そんなことないだろ! ただ、ボクは屋敷の主だから、そうポンポン手紙を出しては……」
「迷惑だと?」
「……沽券に関わる、ということだ」
「ひひ、建前ですよ、そんなの。うわ言で、奥様と坊っちゃんの名前を連呼してたのは誰なんですかねぇ?」
ガブルが、意地悪な笑みを浮かべている。
「ま、私宛の手紙は私のものですからね。旦那さまは、旦那さま宛の手紙を読むべきです。書きましょうよ、奥様と坊っちゃん宛の手紙」
「……」
「きっと、ふたりとも待ってますよ」
ガブルが、切り分けたりんごを爪楊枝に刺して渡してくる。それを受け取り、口に運んだ。甘くておいしい。いいりんごだ。
「……なにか」
ボクの家庭は、すっかり枯れている。そう思っていたのは、ボクだけだったのだろうか。
「実るだろうか」
りんごみたいに心を豊かにしてくれるものが。
「もちろん。りんごよりもすっごいものが実りますよ。だって」
ガブルがりんごを食べながら、にこりとわらった。
「みんな、いい人たちじゃないですか」
貴族には、体裁が必要だ。それが貧民と貴族を、父親と家族を分け隔てているものなのだ。
「ボクは疲れた」
いまさら、体裁を取り払うのは不可能だ。この態度や常識は、僕というものを構成するものとして深く根付いてしまっていた。
しかし、弱っている今、少しくらいなら体裁を崩してみても許されるんじゃないだろうか。
「食わせてくれ」
あー、とガブルに向かって口を開ける。言ってみたはいいものの、割と恥ずかしい。
「旦那さま、奥様みたい」
案外、驚かれなかった。ガブルはこういったことをよく妻にやっているのだろう。慣れている。
「はい、あーん」
口に、切ったりんごが入る。もぐもぐと、咀嚼する。
(あいつは、よくこんなことができるな)
ボクは、恥ずかしくて顔が熱くなる。たぶん、風邪のせいではない。
しかし、これでいい。体裁を崩す、家族に手紙を書くための第一歩だ。
「うわーっ、見ちゃった~」
上機嫌な、そして意地悪そうな声に驚きりんごを吐き出しかける。
「クマダぁ〜、なになに、不倫?」
シローが、ちょうど部屋に入ってきていた。なんて、タイミングの悪い!
「安心しろ、シロー。不倫などして奥様を悲しませることがあったら、いくら私でも心穏やかにはいられない。旦那さまでも三枚おろしにして玄関に吊るしているところだ」
「び、病人に恐ろしいことを言うな!」
「やー、クマダでも弱ると甘えたがりになんのな。ほらほら、俺もりんご突っ込んでやるぞ。口を開けろよ、クマダぁ〜」
「お、お、お前! シロー、許さん! しっぽにむち打ち500回の刑だ!」
ぎゃあぎゃあと、部屋に喧騒が巻き起こる。クマダは、シローに仕置をしようと飛び起きようとするが、ガブルに抑えつけられてしまった。
「ほーら、りんご食えよクマダ〜」
「ぐげっ。ぐ、ぐぬぬ……」
ニヤニヤしながら、シローがクマダの口にりんごを突っ込んだ。それを咥えながら、クマダはされるがままに奴隷たちの嘲笑とほほ笑みを受けている。恥ずかしさで、クマダの顔が更に赤くなった。
外からの日差しは、あの洞窟とは違い穏やかだ。しかしクマダは、今だけはあの洞窟のように暗く冷たくなってくれないかと、密かに望んでいた。