「へぇぇ、すごいな。まるで昔話に出てくる天国みたいだ」
「協会の情報によると、幻想田園という場所だそうだ。実際に農作が行われているわけじゃなく、田園のように見えるからそう呼ばれているんだろう。 もしくは、開拓後に田園としての活用を予定しているからそう呼ばれているのかもしれないが」
クマダが、地図を広げながら答えた。広い空、雲の隙間から光芒が差し込んでいる。地平線まで広がる田園風景のなかに、小さな影がふたつ。
幻想田園。そう呼ばれる場所に、クマダとシローはいた。身一つで道を行くクマダの後ろで、大きなザックを背負ったシローがその背を追っている。
開拓のために共に歩を進める最中、シローはひっきりなしに辺りを見回していた。宙に浮かぶ淡い光の塊に手を伸ばすと、ふわりと霧散して消えていく。「へぇ」と、楽し気につぶやいた。細く開かれた瞼から見える小さな瞳が、らんらんと輝いている。
「これ、なんだろうな」
「大地の力が地面に漏れ出ているんだろ。別の言い方をすれば、自然の魔力とも呼べるか。お前にとっては珍しいだろうな。ボクらの住むあの星は、大地に力が宿っている場所なんて無かったから」
クマダはそう言って、辺りを見回した。ぼんやりとした光の塊が、たんぽぽの綿毛のように穏やかな風に乗って流されていく。
「ここは、良い農地になるだろうよ」
「作物かぁ。思い返せば、俺この場所に来て生まれて初めて野菜を食ったんだよな」
「貧しい大地では植物は育たないからね。ボクらの星では野菜なんて金に等しい。貧民のお前が口にできる代物じゃないのさ」
「まぁ、ボクは食べてたけどね」
クマダはにやっと笑う。
「本当に嫌味な金持ちだな、お前は!」
シローが嫌な顔をして言った。
ぐぅ~~……。
「はぁ、腹が立つと腹が減る……。あ~、拠点に戻ったら食堂で野菜炒めでも作ってもらうかな」
「おっと、現在時刻は……ちょうど正午か。そうだね。そろそろ昼ご飯にしよう。紳士たるもの、昼食はしっかり取るものだからね」
クマダは、軽い身のこなしでシローのザックに飛び乗り、荷物を探りはじめた。ザックから取り出したのは、プラスチックでできた四角い弁当箱。
「紅茶もあるぞ」
そして、水筒。
「お前が紅茶好きなんて初めて知ったよ」
「パンケーキに合うからな」
円柱型のお弁当箱も。その中から、ふわっと甘い香りが漂っている。
レジャーシートを広げたクマダたちは、幻想的な風景の広がる田園のど真ん中でランチを楽しんでいた。
「あー、サンドイッチうめぇな……」
平凡なサンドイッチだったが、空腹の身にはこれ以上ないごちそうだ。
「きちんと食べて、また働いてくれよ。道のりはまだまだ長いぞ」
クマダが、パンケーキをほおばりながら言った。たっぷりとメイプルシロップがかけられたそれは、弁当箱に収められていた時以上に、甘い香りをシローの鼻にまで漂わせている。
きっと、こいつは三時になったらまたおやつにパンケーキを食べるんだろうな。シローはそう思いながら、周囲の田園を見渡した。
「ここらへんはBUGが少ねぇな」
「模倣する存在がいないと、BUGは生息できないんじゃないかという話も聞いたことがあるけどね。まぁ、いないならその方が仕事が楽だ。BUGと戦うのは骨が折れる」
いつの間にか、ペロリとパンケーキを食べ終えている。食うのが早いやつだ、とシロー。
「俺、この星の開拓が終わったらここに住みてぇ」
ぽつりと、シローが言った。
「BUGに慣れちまえば、ここってすっげぇ良い土地だし。まぁ、そのBUGが一番目の上のたんこぶなんだけどさ。晴れた日は畑を耕して、雨の日は家で本を読むんだ」
理想的な生活だ、というふうに、シローは言った。
「自分の身分を忘れたか?」
クマダが言った。クマダの方を見ると、満腹になって眠気がきたのか、うつらうつらとしている。
「お前は、ボクの奴隷だ。ボクの……」
「あいててっ」
クマダはゆらゆら揺れているシローのおおきなしっぽを力強くつかんで、自らの方へひっぱった。そのまま、しっぽに小さな体を沈める。
「ちょっと……眠い……」
長らく歩いていたのと、BUGとの戦いで疲れたのだろう。クマダはシローのしっぽにくるまると、スースーと寝息を立てはじめた。
「毛が抜けるっ! 引っ張んなバカ!」
口をついて出た罵声も、もうクマダの耳には届いていないようでいつもの嫌味な反論は返ってこない。
「へっ、食ってすぐ寝ると”ウシ”ダになっちまうぞ」
シローはホルスタイン柄になったクマダを想像して、クスクスと笑う。
「……しっかし、これじゃ動けねぇな」
BUGが少ないとはいえ、さすがに未開拓地のど真ん中で自分まで眠るわけにもいかない。
クマダはその小さな手でシローのしっぽをつかみながら、むにゃむにゃと不明瞭な寝言を発している。夢の中でおいしいものでも食べているのだろう。
「気分いいだろ。俺の自慢のしっぽだからな」
おおきなしっぽを器用に動かし、クマダをくるんと包み込む。気持ちがいいのか、クマダは寝息を立てながら口元をほころばせた。
「はー、こう見てりゃ本物の子供みたいでかわいいもんなんだけどな」
実際は嫌味な金持ちのサドのおっさんだもんな。と、シローはため息をつく。
すっかり眠りについたクマダの、頭にある耳に触れる。小さな熊耳が、帽子の上から感じられた。
幻想田園に流れる穏やかな風は、昼寝をするには最適なもののようだ。シローがどんなに独り言ちてもクマダの安眠が妨げられる様子は無い。
「……、あぁ、しゃけのステーキだ……。しゃけの……」
がぶり。
「あっぎゃああああ!?」
寝ぼけたクマダが、シローのおおきなしっぽに噛みついた。
ここは幻想田園。シローがしっぽから必死の思いでクマダを離し、クマダの目を覚まさせるために大声を張り上げたが、クマダは一時間しっかり安眠をむさぼっていた。
「むにゃ」
クマダの目が開く。眠りから覚めたクマダは、まだ眠たそうに目元をこする。
「……うっかり、眠ってしまったみたいだな。ここらはBUGを見かけないとはいえ、どこかで出会う可能性はあるんだ。まぁ、何事もなかったから良しとするか」
うんうん、とひとり納得をする。
「シローが見張っててくれたのか? ……ありゃ」
クマダが自らの手元を確認すると、ふわふわの白いしっぽ。その先にはボロボロになったシロー。しっぽは、妙にしっとりと濡れている。
「周囲に争ったような形跡がある。まさか、BUGに襲われたか? しかし、荷物は取られていないし周囲にBUGの姿は見られない……」
「まさか、こいつひとりでBUGを撃退したのか? 何のつもりかはわからないが、ふむ……」
クマダは、ニッと笑ってシローを見やった。
「主人の眠りを妨げず外敵を撃退するとは、お前にしては珍しく殊勝な行動じゃないか。ふむふむ、そうだ。奴隷として理想的な判断だよ」
倒れているシローの前でしゃがみ、その頭をなでる。しっぽと同じくふわふわな髪の毛は、しかししっぽとは違い大した手入れもされずボサボサだ。
「ふむふむ、こんなことができるなら今度からは戦闘にも参加してもらおうか。さすがに戦闘をすべて任せられるほどではないが、ボクの負担が少なくなるなら良いことだ」
「ともかく、お前の主人として何か褒美をあげないとな。そうだなぁ。鮭のはちみつがけパンケーキでもシェフにつくってもらおうか」
シローは、すでに反論する元気も無くぐったりとレジャーシートの上に横たわっていた。クマダのこどものような小さな手の感触を、一方的に味合わされている。
「……」
クマダがほんとうに子供だったら、きっとこの一連の行動もほほえましいものだったんだろうな。
「子供だったら、な……」
小さな声で、シローがつぶやいた。
しかし、上機嫌なクマダの耳にそのつぶやきは届かなかった。
「打術」というものがある。
その名が表す通り、打撃に関する技術である。この星でBUGと戦うに当たって協会が名付けたのか、開拓者たちが使う俗称なのかはわからない、が。
「ボクには新しい力が必要なんだ」
「毎度、ご苦労なこって」
旅館の庭先で新たな技術を手にいれるべく訓練をしているクマダを、縁側から眺めながらシローが言う。訓練内容は、訓練用に立てた丸太にこん棒で攻撃を当てるというシンプルなものだ。だが、クマダは訓練を開始してからというもの、重いこん棒にバランスをとられふらふらと千鳥のようなステップを踏むばかりで一向に丸太を殴る気配がない。
クマダは先日、BUGとの戦いで苦戦を強いられ最後には撤退を余儀なくされていた。追いかけてくるBUGらから背を向け逃走すると言う行為は、プライドの高いクマダには耐え難いものだったらしく。 さきほどからしきりに
「忌々しい虫けらめ……。虫けらどもめ……」
と呪詛のようにつぶやいているのである。
「お前にゃ無駄だと思うけどね」
電子たばこをふかしながら、シローが口を挟む。たばこを嫌い口うるさく嫌みを投げ掛けてくるクマダと、愛煙家の自分との妥協案だ。
「打術って槌と棍とか、そういう打撃武器を扱うための技術だろ。普段、フォークより重いものを持たないお前にそんなデカイ武器が振り回せるとは思えねーって言ってんだよ」
「う……」
痛いところを突かれたようで、クマダはこん棒を下ろし俯いてしまう。クマダも、薄々は感づいていたらしい。打術を扱うには、基本的に武器を振り回せる体重かそれを補えるバランス感覚、もしくは打撃に準ずる魔法が必要だ。クマダには、どれも持ち得ないものだ。
「こん棒持ってふらふらするのが自分の訓練ですっていうなら止めねーけどな。ひひひっ」
シローは意地悪な顔をしたあと、立ち上がりぐっと背伸びをした。
「そろそろ飯でも食いに行こうかな」
「ま、待てっ。ボクも行く!」
食堂へと向かうシローの背中を、クマダはあわてて追っていった。
食堂は、昼食を求める人々が賑わいを見せていた。とはいっても、開拓先で建てられた旅館ーー即席の魔術式旅館なのだそうだ。はた目に、魔法と言うものは万能の力に見えるーーなので、クマダが嫌うほどの混み具合でもない。
「……」
クマダは、半熟たまごのオムライスを食べる手を止め、ボーッと窓の外を見て呆けていた。そのクマダの珍しい行動に、すでに醤油ラーメンを食べ終えたシローはクマダの目の前に手をかざしたり、その小さな鼻をつまんだり……。
「おいおい、飯が冷めちまうぞ。お前が出された料理にがっつかないなんて。なんだ、腹でも痛いのか?」
「ん……。あぁ、シロー。いや、別にそういうわけじゃないのだけど……」
「訓練のことか」
クマダは、小さく頷く。
「ボクは、開拓者の一員としてみんなの役に立ちたい。でも、今のボクは前回の開拓となにも変わらない戦術を取っている。前回、あんなにBUGに苦しめられたというのに、その反省を全くできていないんだ」
「まー、反省もくそも、そもそも二度目があるとは俺も思ってなかったからなぁ。俺たちの星じゃこんな戦闘はしないし」
クマダの真剣な落ち込みように、慰めの言葉をかける。しかし、クマダの元気を出させるには及ばない。
「そんなに悩むんだったら、誰か他の開拓者に頼み込んで師事を仰いでみたらどうよ」
「それでは、迷惑をかけてしまう。ただでさえBUGとの戦いで大変だと言うのに」
思い出したかのように、クマダはオムライスを口に運んだ。
「こんなとき、ボクの屋敷と通信ができれば……」
「師範でも雇うのか?」
「ボクの召し使いの女に、ガブルというのがいただろう。ほら、体が大きくて狼の帽子を被った……」
あぁ、とシローは思い出す。
クマダの屋敷で働いているとき、よく目にしたような気がする。話したことはないが、あの長身ーーたぶん、2メートルはあるだろうーーはとても目立つ。 まんまるとしたドングリ目をしていて、それが何を考えてるのかわからないので怖かった覚えがある。たしか、クマダの妻の護衛を務めていたのだったか。シローは、ほんやりとその姿を思い出していく。
「たしかに、ありゃ打術を扱うにはぴったりの人材だな。あのデカ女がいりゃ、お前の求める戦力としては十分だろうよ」
ははは、とシローが笑う。その時だった。
ガシャーンッ!!
大きな音が食堂に響いた。クマダとシローはとっさに音のする方向へ顔をむける。
はめ殺しの大きな窓ガラスが割れている。その上には、開拓者と思われる人間が数人。
「ぼーっとするな。あれはBUGだ」
クマダが、呆然としているシローに向かって言った。
「しかし、開拓者の集うここを襲撃するなんて馬鹿なやつだ。ちょっと待ってろ、ボクも助太刀をしてくる」
食事を邪魔するなんて万死に値するぞ、と言い残して、クマダはBUGの元へ駆けていった。すでに、他の開拓者たちがBUGを倒そうと戦闘態勢に入っている。
開拓者のなかの誰かが攻撃魔法を唱え、それを皮切りに次々とBUGへの攻撃が繰り出される。とっさの戦闘なこともあってか、連携は取れていないながらも開拓者たちの攻撃はじわじわとBUGを押し返していく。
「こいつら、最前線を進む開拓者パーティを模倣したな。虫けらにしては利口な判断だ。だが、数の暴力の前にはその力は無意味だな」
そう言いながら、クマダが戦闘用のナイフを投げていく。
カキンッ
意図的なものなのか、ほんのまぐれか。大剣を持つBUGの一匹が、クマダのナイフを器用に弾きかえした。
「!!」
そのナイフは、投げた軌道をそのままに、クマダの目の前にまっすぐと迫ってきていた。予想外のことに、クマダはナイフに反応できず……
「旦那様ッ!!」
次の瞬間、クマダは何者かに押し倒されていた。冷たい床に体が打ち付けられる。
「おおっと、大丈夫ですか。旦那様」
「シロー?」
いつの間にか心を入れ替えて、奴隷らしくボクを慕うようになったか。いや、まさか……。そんなことを思いながら、クマダは声の主をひと目見ようと顔を上げた。
「ガブル!?」
「お久しぶりです。旦那様」
クマダの目の前には、遥か遠く自分の屋敷にいるはずのガブルがいた。
「大丈夫か、クマ……。げえっ!!」
駆け寄ってきたシローが、ガブルに気付いて後ずさる。
「おやおや、確か……シローだったか。君、旦那様に付いていたのか。知らなかったよ」
ガブルは、自分の下でパチクリと目をまん丸にして驚いているクマダに気づき、慌てて立ち上がった。その後ろでは、無事BUGは倒されたようで開拓者たちは戦闘態勢を解き、後片付けを手伝ったり食堂をあとにしたり。食堂のスタッフが、食堂はしばらく使用できないとアナウンスをしている。
「私達も邪魔にならないよう部屋に戻りましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。食べかけのオムライスを部屋に持っていっていいか聞いてから……」
クマダは、テーブルに取り残された食べかけのオムライスを、困ったように見つめていた。
「そうだ。私も、デザートを買っていっても良いでしょうか」
ガブルが言った。この星に来て初めて聞く、召使いらしい質問にクマダは少し呆気にとられてしまった。だって普段共に過ごしているシローは、もはやそんなことをいちいちクマダに確認しない。
「あ、あぁ、構わないが……」
「ありがとうございます」
ガブルはニコリと笑った。
「クマダっ、俺を助けろ! いやっ、助けてっ、助けてください! ご主人様ー!!」
「ははは、お前の犠牲はムダにはしないぞ、シロー」
「クマダああっ!!」
旅館。クマダの宿泊部屋は、ぎゃあぎゃあと騒がしい。その狭い部屋の中で、シローは必死に駆け飛び跳ねては逃げ回っていた。
「おっと、旦那様に対してその態度はなんだ。これは、躾が必要だな?」
そう言うのは、クマダの奴隷であるガブルだ。ガブルは大きな体でシローの逃げる先を塞ぎ、じわりじわりと追い詰めていく。躾、と話すガブルの声音は、実に嬉しそうだ。表情もだらしなく、それはまるで愛猫を愛でる愛猫家のような……。
「ほーら、捕まえた❤」
「ほげええっ!?」
逃げようとしたシローをパッとすばやく捕まえる。ガブルは女だが、その体躯は男であるシローよりもずっと大きい。力も強く、その腕に捕まったシローは逃れることができずじたばたともがくことしかできなかった。クマダは、その様子が面白くて、いじわるそうにはははと笑った。まるで、道化を見るときのそれだ。
「悪い子にはおしおきだぞ。ほーら、ほらほらほら……」
「あぎゃー!?」
シローの大きなしっぽがガブルの大きな手に掴まれる。ガブルはそのしっぽに顔をうずめ、両手で激しくガシガシと撫で回していく。
「しっぽ取れる! しっぽ取れる!」
「あー、もふもふもふ……❤ すーはーすーはー……」
「ぎゃーっ、セクハラぁ!!」
その様子を見て、クマダは
「なんてハレンチな……。いや、シローが標的になってくれて助かったな……」
安堵のため息をついて、そう呟いた。
「つい、我を忘れてしまって……」
頭にたんこぶをこさえたガブルが、へらへらと幸せそうに笑いながら言った。その頭には、シローの白い毛がついている。正座をしているガブルの向かいにはクマダが立っていた。シローは部屋の隅で小さく、しかし怒りと警戒でしっぽをより大きく膨らませていた。
「なんで、ガブルがこの惑星にいるんだ? お前は、あいつの護衛をしていたはずだ」
クマダが言った。あいつ、とはクマダの妻のことだ。ガブルは、クマダの妻の護衛を務める奴隷だ。この惑星にいるはずが無い。
ガブルは、いつの間にか食堂で買ったプリンを開け食べている。真面目か不真面目かわからない奴だな、とクマダは思う。
「奥様が心配してるんですよ」
クマダの瞳が、ぱっと大きく開かれる。
「旦那様、以前もこの星に長期滞在していらしたでしょう? 今回も同じ用事ということで、奥様がひどく心配しておられるんです。旦那様、以前の開拓のとき全然お便りを送られなかったでしょ」
むぐ、とクマダが苦い顔をする。
確かに、自分の夫が遠い地で長く滞在するというのに手紙もろくによこさないのでは不安にもなるだろう。さらには、この惑星はBUGという恐ろしい存在もいる。
「だから、不安に苛まれた奥様は旦那様の安否を確認するために私をこの星へ送り込んだのです。ご理解いただけました?」
「あぁ、開拓となると忙しくて……。だが、まだわからないことがある」
クマダが、悩ましげに伏せていた顔を上げた。
「開拓者名簿にお前の名は無かったはずだ。それに、ここに来たのはお前一人か? 他の人員は? お前はボクの元へ来ずにここで何をしていたんだ?」
「そうですね、一つずつお答えしましょう」
ガブルが、その大きな手には不釣り合いな小さなスプーンをくるりと指先で回した。
「まず、私は開拓者ではありません。シローと同じく、旦那様の所持品です。……といっても、この地では奴隷という存在も馴染みが無いようで、サポーターという立ち位置になっていますね」
ガブルが、またひとくちプリンを掬い口にした。
「そして、開拓者ではない以上、私は一人で開拓をすることができません。権利も、ダイスも、装備も無いですから。そんな状態では、どこにいるかもわからない旦那様をふらふら探し回るのは自殺行為です。なので……」
にこり、とガブルが笑った。
「私は開拓先施設の護衛として働いて旦那様を探していたというわけです。これが、一番最善かと思いまして」
「なるほどね。シローよりもずっと利口な考えだ」
「なんで、そこで俺の名前が出てくんだよ……」
うんうんと納得している様子のクマダを、シローがジトリと睨んだ。そして、ガブルの方を見る。
「お前も、飛行船の荷物としてカバンに押し込まれたのか……?」
「は……? そんなわけないだろう。単身で、普通に飛行船の客席に座ってきたよ。いやぁ、あれはふかふかで気持ちよかった。奥様と一緒に座るソファほどではないが……」
バタン。
シローが床に倒れた。俺が、苦労してカバンに詰め込まれていたのはなんだったのか。
「あいつも甘いなぁ。奴隷に席を用意するなんて」
「愛されているのですよ」
ふふん、とガブルは得意げに胸を張った。
「困りますよ。ガブルさんを連れて行かれると、この施設の護衛が足りなくなってしまいます。ガブルさん、まだ護衛の依頼が入ってるでしょう?」
困り顔で旅館のスタッフが言った。それに対峙するはクマダ。
「ぐぬぬ……」
腕組みをし、眉間にはシワを寄せている。
「……これは誤算でした。そうか、ここでは私は所持品ではなく一個人として扱われているんですね。だから、所有者である旦那様の言葉があっても勝手に連れ出しはできないと。なるほどなぁ」
「こりゃ文化の違いだな」
そのクマダのうしろで、ガブルとシローはうんうんと納得している。納得していないのは、主人であるクマダだけだ。
「ボクの所有物だぞ……。ボクが買ったんだぞ……」
「仕方ないですよ。行きましょう、旦那様」
不満げなクマダを、ガブルが片手で持ち上げる。
「ボクのだぞ……ボクの……」
連れて行かれる最中も、クマダばぶつぶつと文句を言い続けていた。
「さて、どうしましょうか」
中庭のベンチに座りながら、ガブルが言った。その隣で、クマダは未だ不満げな表情を浮かべている。それを見て、シローが口を開いた。
「しょーがねーだろ。ガブルのことは諦めるしかねえよ。郷に入れば郷に従え、だっけ?」
「お前の小さな脳みそからでも、そんな言葉が出るんだな」
「こ、この野郎……」
「おっ、シロー、旦那様にその言葉遣い……」
「あっ、いや、違……」
シローの発したクマダへの不敬な言葉遣いに、ガブルがぎらりと眼を光らせた。その実、クマダへの不敬よりもシローのしっぽが目的だろう。じりじりとシローに近づき、しっぽをもふもふしようと間合いを詰めていく。
仲がいいな、とクマダは思った。はぁ、とため息が漏れる。
「おい、シロー。ボクにチョコレートクッキーを買ってこい。甘いものが食べたいんだ」
「えっ、お、おう! まかせとけ!」
普段は文句ばかりのシローが、素直に売店へと走っていく。もちろん、その原動力はクマダへの忠誠心では無くガブルの魔の手から逃れたい気持ちなのだが。
「ちぇっ、もふもふが……」
「ガブル、お前ももう少し大人しくしろ。シローの毛がところどころに付いててみっともない」
「う……、申し訳ありません……」
獣耳を垂れさせながら、ガブルがしょぼくれる。
「で、どうなんだ」
クマダが言った。ガブルは垂れていた耳を再びピンと天へ伸ばし、質問の意図を把握しようと頭を働かせていく。
「あいつらのことだよ。ボクの家族たちのことだ。どうだ、元気だったか」
「あぁ、そのことですか。えぇ、元気ですよ。奥様も坊ちゃんも、旦那様がいなくてもなんとかやってます」
「なら、いいんだ」
クマダの耳が垂れている。
「心配なら、ちゃんとお手紙を出せばいいのに」
「誰に向かって口をきいているんだ」
「旦那様の家族は、本当に仲が良いですね。羨ましいです」
「お前こそ、いつもあいつと遊んでばかりなくせによく言う」
「家族って、特別な感じするじゃないですか」
ガブルは空を見上げた。頭上には青い空が広がり、木の葉のさざめきと小鳥のさえずりが聞こえる。
「単にそういう決まりの集まりというだけだよ。希少ではあるが、特別じゃない」
「冷たいですね」
「本当のことさ。だから、そんな決まりに縛られず、皆好きなことをすればいいんだ」
ガブルがきょとんとした顔をしながら、クマダを見た。
「もしかして、旦那様。旅先から手紙を出すのはうっとおしがられるとか、気を使わせてしまうとか思っておられます?」
「別に、そういうわけじゃ……」
「へぇ〜、旦那様にもそんな謙虚な面が! 近状報告の手紙に書いておこう」
「おい、こらやめろ」
ぎゃあぎゃあと、クマダとガブルが騒いでいる。
シローが帰ってくるまで、中庭には小鳥のさえずりのほか、クマダとガブルの声が騒がしく響いていた。